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【コラム】実録・動作学的に書くとこうなる

前回は、動作学的に物事を見る時の基本、「インプット・プロセス・アウトプット(知覚行為循環)」を取り上げて、このプロセスを「常識」などのフィルターがいかに邪魔するかについて書きました。

今回はその続き、インプット・プロセス・アウトプットの循環を妨げるその他のフィルターについて書くつもりでしたが、急きょ、予定を変更して、インプット・プロセス・アウトプットについて少し違う切り口から書いてみたいと思います。

題して、「実録・動作学的に書くとこうなる」。題材は書くことについてですが、もちろん書くことだけに限定される内容ではなく、皆さんが日々直面する出来事にインプット・プロセス・アウトプットの概念をどう応用できるか、身近な例として参考にしていただけたら幸いです。

自分の望むアウトプット、望まないアウトプット

さて、先週の投稿をアップしてから今週この投稿を書き始めるまでの間、このマガジンの執筆者にはある問題が起こっていました。

その問題とは、「どうしても書く気がしない」というアウトプットが出続けていること。

…小難しい言い方をしましたが、要は書きたい気持ちになれない状態が続いたわけですね。

もちろん書きたい気持ちはあるんです。だって、私は動作学の面白さを伝えたくて、自分がやりたくてこのマガジンをやっているわけですから。

この状況を動作学的に見ると、書きたいという私の望み(価値観)があるのに対して、それに沿うアウトプットが出てきていない状態。別の言葉で言うと、自分の望むアウトプットが出てきていない状態、愉快でない状態です。

書くことに限定しなければ、これ、皆さんにもよくあることなんじゃないかと思います。たとえば、できればイライラしたくないのに、またイライラしちゃった、なんていうのがまさにそれです。

で、その状態にどう対処するか。

以前の私であれば、書く気がしないというアウトプットが出ていても、気合と根性で書きましたが、動作学を学んでいる今は、「書く気分でないのに書く」ということはまずしません。

というのも、「書く気分でない」というアウトプットが出てきている状態はもう変えようがなくて、それを抑え込んで書いてもそんなにいいふうに物事は展開しないということが実感としてわかってきたからです。

ただ、「書く気分でないのに書く」ことはしない代わりに、「書きたい気分が出てくるようにする」ことは頑張ります。

つまり、自分の望むアウトプット(書きたい気分)が出てくるように、インプットやプロセスを見直す、ということをします。

で、休んだり、気分転換したり、人に話を聞いたり、いろんな立場からの視点でこのマガジンを見直してみたり…と自分なりにインプットを意識的に変えるという取り組みをするうち、ほわんと書きたい気持ちが湧き上がってきました。

ここまでの話のポイントは、自分の望み(価値観)とは異なるアウトプットが出てきているなら自分の価値観に合うアウトプットが出てくるように自分で変えられるということ。ただし、変えるのはインプットとプロセスであるってことです。

それは価値観か?フィルターか?

インプットを見直した結果、「書きたい気分」という自分の望むアウトプットが出てきた、のはよかったのですが、今度は違う理由で私はまた不快な状態に陥りました。

何が起こったかというと、ようやく「書きたい気分」になった内容が、前回「次回はこれを書きます」と宣言した内容とは違うという事態が発生したのです。

理想は「次回これを書きます」と宣言したことを書きたい気分になれることでした、けど書きたい気分になったのはその話ではない…また微妙に自分の望みとは違うアウトプットが出てきちゃった私は、大いに焦りました。

この状態のまま新たに書きたくなった内容を書いてもちょっと居心地悪いし、かといって新たに書きたくなった内容を無視するのは自分のアウトプットを抑え込むことになる…というわけで、私はここでまた立ち止まりました。

「予告した内容の原稿を書きたい」と「新たに思い浮かんだ内容で書きたい」どちらが自分の望みなのか?

そうやって一呼吸を置くと、「予告した内容の原稿を書きたい」は、私が特に根拠なく「そうすべき」と思っているだけのフィルターであることが見えてきました。

「宣言したことは守るべきである」みたいなフィルターですね。

もちろん、「宣言したことは守りたい」が自分の価値観であるという場合もあって、宣言したことを守る必要はないと言いたいわけではありません。

ポイントは、自分の価値観なのか、価値観のように感じられるけれど実はただ思い込んでいるだけのフィルターなのか、見極める必要があるということ。そして、動作学的にはフィルターに左右されることなく、あなたの本当の価値観に従って動くということが大事なんですね。

余談ですが、あなたの価値観というのも不変ではなく、その時々で変わるものなので、「宣言したことにこだわらないのが自分の価値観だ」と画一的に思い込んでいると、それもインプット・プロセス・アウトプットの流れを阻害するフィルターになりえます。

というわけで、そうやって丁寧にインプットとプロセスを見直して、自分の価値観・感性に従って揺らぎながら出来上がったのがこの投稿です。

自分の価値観・感性に従って書いたら、その結果、何が起こるの? というふうに我々はつい目に見えるわかりやすい変化を期待しがちなんですが、そこは重要ではありません。

重要なのは、あなたの生命(いのち)のシステムで起こっていることの方。いかにインプット・プロセス・アウトプットをスムーズに循環させられたか、です。

そもそも、本質的な変化というのは、この循環が繰り返された結果としてしか起こりません。しかも、その変化は、生命(いのち)のシステムのベストなタイミングで、ベストな形で起こります。だから、自分の思った速度で思った形で変化すると限らないし、自分の思った通りの結果が出なかったからといって意味がないことはないんですね。

これまた余談ですが、「こうしたらこういう変化が起こるはず」という期待も一種のフィルターと言えるかもしれません。そのくらい私たちは普通に生きているだけで知らずのうちにいろんなフィルターを身につけちゃっているのですね。

では他にどんなフィルターがあるか? 次回こそ前回の続きを書きたいと思います。