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【47】イノベーションの鍵は「若者の感性」×「年長者の知識と経験」

「若い子の考えることがよくわからない」

「上司の価値観が古くてつまらない」

若者と年長者の世代間ギャップは今に始まったことではなく、遡ること5000年前のエジプトのピラミッドの壁画にも「今時の若者」について嘆く表現が残されていると言います。

そもそも生まれ育った環境が違うので、価値観が異なるのは当たり前なのですが、そこで互いに壁を作ってしまうと、革新はまず起こせません。

そもそも、異質なものが掛け合わってこそ、それまでと違う新しい創造が生まれるのが世の常。

ただ、そういった創造の本質的な仕組みを理解していないと、若者と年長者とが歩み寄ろうとする努力は的外れなものになりかねません。

では、若者と年長者はどのような関係にあれば、イノベーションが生まれやすくなるでしょうか?

動作学の回答は、「若者の感性」と「年長者の知識と経験」を掛け合わすような関係です。

一体どういうことか、動作学のレンズを通して見ていきましょう。

感性→知識→経験が革新をもたらす

まず、革新がどう起こるかから整理していきましょう。

革新は、必ず行動の結果として起こります。

そして、我々が行動を起こすにあたっては、基準というものが存在します。

その一つが、感性・知識・経験という基準です。

【感性】いわゆる、ひらめき。無意識も含む全ての情報を脳が処理した結果として出てくるもの(=最適解)

【知識】情報収集や勉強、経験を通して蓄積されたナリッジやノウハウ

【経験】実際に行動したことと、その結果

感性・知識・経験については、「感性を大事にしよう」「知識は力だ」「経験は時に足枷になる」というふうに個別に語られることも多いのですが、行動によって変化を起こすという観点で見ると、感性・知識・経験は三つ揃って一つのシステムのように機能します。

1 感性によって、どんな行動を起こせばいいか方向性が示される

2 知識によって、感性の方向性を実現するための具体案が得られる

3 経験によって、感性・知識を実践した結果が得られる(それが脳にも伝えられる)

上図のようにこの三つは循環していて、3の段階で結果を受け取った脳がそれを処理してまた1に戻って新しい感性を指し示す、という絶え間ないサイクルの中で、進化成長の一環として、創造や変化が起こるのです。

若者の感性を信じ、年長者の知識を生かす

このよう見ていくと、感性・知識・経験はどれも等しく重要であることがわかります。

また、あくまでも感性が方向性を決め→知識を具体策として使い→実践して経験値を得る、という順番が鍵であることも見えてきます。

このことは若者も年長者も変わらないのですが、両者の間で異なるのは、感性・知識・経験のボリュームです。

よく言われるように、年齢を重ねると共に知識と経験が増えてくると、必然的に感性の比重は小さくなっていく傾向にあります。

一方、若いときは、知識と経験が圧倒的に少ないので、当然、感性の比重が大きいのです。

その違いによって、知識や経験で判断することが多くなった年長者が、感性で動こうとする若者を止めてしまったり、知識や経験に乏しい若者が、年長者の判断基準を理解できず不満を募らせたり、ということが起こるんですね。

では、どうすればいいかというと、それが冒頭の動作学の回答、「若者の感性」が指し示した方向を、「年長者の知識と経験」でサポートする、そんな関係を築くことなのです。

これまでの歴史を見ると、時代というのは、例外なく、若者の感性が指し示した方向へと変化してきました。

だから、若者の感性を、年長者は信頼した方がいい。

ただ、感性が指し示した方向を現実に形にしていくためには豊富な知識と経験が必要です。

そして、そここそが年長者の役立てるところなのですね。

年長者は、理解できないという理由で若者の感性を潰さないようにすること。

若者は、古臭いと年長者を端からシャットアウトせずに知識や経験から学ぶ姿勢を持つこと。

そんな意識を互いが持てたら、社会や組織により良いイノベーションが発生するような土壌が自然に育まれていくはずです。

もちろん、年齢に関係なく、一個人としても、感性・知識・経験、いずれも等しく豊かであるに越したことはありません。

ですから、年長者は感性を磨くために心が動くようなことを日常に取り入れる努力を、若者は知識と経験を増やすためにどんどん学び体験を積み重ねる努力を、それぞれ意識できたら、創造を育む土壌はさらに豊かになっていくのではないでしょうか。