【01】生きることは、揺らぐこと
物事をマクロに見る3つの概念
さて、前回の投稿で、動作学を知ることはマクロの視点から物事を見るその見方(レンズ)を手に入れることだ、とお伝えしました。
では、マクロの視点から物事を見る見方とは、具体的にはどういうことでしょうか?
その鍵は、動作学の基本となる3つの概念(考え方)にあります。
動作学の3つの基本概念
・動的平衡(どうてきへいこう)
・知覚行為循環(ちかく・こうい・じゅんかん)
・適応(てきおう)
もちろん、この概念を用語として覚える必要はありません。
また、それぞれの概念が、生き方にどう活かせるかについては、この先、このマガジンで詳しく説明していきますので、現時点では動作学には3つの基本的な概念があるということと、それぞれの考え方のポイントだけがわかればOKです。
さっそく、ひとつひとつ、ポイントを簡単に解説していきましょう。
動作学キーワード1「動的平衡」
3つの概念のうちのひとつ、「動的平衡」は、一言で言うと、生命(いのち)は揺らぐことが当たり前で、揺らぎがあることこそが生命(いのち)である、ということです。
…というとなんだか禅問答のように複雑に感じそうですが、冷静に考えるとすぐにわかるシンプルな科学です。
たとえば、人間の体。
体温が常に一定で、脈拍も血圧もずっと同じ、ということは生きている限りありませんよね?
なぜ一定でないかというと、生き物は、気温や湿度、騒音といった外部のさまざまな環境や、食べたものや睡眠時間、内臓の状態といった体の内部の環境など、さまざまな環境と影響しあいながら、常に変化しているからです。
その変化は数時間単位どころか数秒単位、いや秒単位の間に常に起こっています。
さまざまな環境の変化に対応して変化することで平衡を保っているのが生命(いのち)である、とも言えますし、さまざまな環境の変化の中で平衡を保つために変化しているのが生命(いのち)である、とも言えます。
いずれにしても、生きるということが、そもそも変化する揺らぎの中にある、ということで、揺らがないということは生きてはいないということなんです。
…それが生き方にどう関係してくるのかって?
ここで、ちょっとご自身の日常を振り返ってみてほしいのです。
人は揺らぐことが当たり前なのに、それを許していない、あるいは認めていないことはないでしょうか?
たとえば、体調がイマイチの日、「健康に気を使っているのになぜだ?何がいけないんだ?」と原因探しに躍起になる、とか。
なんだかやる気が出ない時、「これではいけない、やる気を出さなくちゃ!」と自分を奮い立たせる、とか。
物事が自分の望むように進まなくてイライラして、でも感情的になってはいけないと冷静を保とうとする、とか。
自身の体調や感情について、ポジティブに感じる変化は歓迎しても、ネガティブに感じる変化は受け入れていないというシーンが意外とあるんじゃないでしょうか?
そういった日々のことを、ぜひ動的平衡のレンズを通して、見てみてほしいのです。
体調不良や、落ち込み、苛立ち、さらには不安、恐怖といった一見ネガティブな状態も、生命(いのち)の揺らぎでしかなく、あって当たり前のことだ、と。
自己啓発や精神世界のジャンルではよく「"ダメな自分"も受け入れて愛することが大切」というようなことが言われていますが、それと同じことです。
それを、動的平衡の考えに基づいて動作学的に言わせてもらうなら、「どんな状態の自分も生命(いのち)の揺らぎの中にある、つまりは生き物として生命をまっとうしているだけで、そもそも"ダメな自分"という状態はない」とも言えます。
え、でも、「ダメな自分なんていない」と思ってしまったら、そこで成長が止まってしまうのでは?
いえ、その心配はありません。むしろ、人間の進化、成長とは、さまざまな揺らぎを体験して、そこから学習をすることで進んでいくものだからです。
ポジティブであろうと、ネガティブであろうと、なんであれ、揺らぐことこそが自分の成長につながる、それが生命(いのち)の本質です。
どうでしょう、物事の見方、ちょっと変わってきたでしょうか?
動的平衡について押さえておきたいポイント:
・どんな状態も生命(いのち)の揺らぎであり、良い・悪いはない。
・揺らぎを体験することこそが人の進化・成長を促す。