人生とは何か

人生とは何か。
人の一生?

人の一生とは何か。
生まれて生きて死ぬこと?
 
生まれたときは知らない。死ぬときも知らない。
物心がついた3~5歳から以後の人生は認知している。
死ぬ直前の数日前までは。

生まれてから68年と数か月後の現在、私は「人生とは何か」について書いている。

2024年(令和6年)5月19日の日曜日、朝は1時間ほどのジョギングをした。ジョギングの後、シャワーを浴びてストレッチをした。
朝食にパン、スクランブルエッグ、ハムを食べた。
ベッドに寝ころびながら、朝刊を読んだ。
ごろごろしながら、スマホでYouTubeを見ているうちに眠ってしまった。
起きたら、昼どきになっていた。
そばを食った。
そして、「人生とは何か」について、忘れないうちに、メモをしておこうと思ったのだ。

人生とは、少なくとも「私の人生とは」、今、こうしていることだ。
「人生とは何か」、私が問うまでもなく、古来、幾万の人々が問うてきた。が、その答えというものがない、ということも、そろそろ分かりかけてきた。
いや、もっと随分前から、気づいてたよ。
答えがあっても、「私の人生にとっては」あまり意味がなさそうだということも。

結局、「人生とは何か」を問うても意味がない。
何かの目的があっての人生でもない。

人生とは、何かのためではなく、ただ単に事実の積み重ねだ。
目的があってもよいが、目的があっても、その日々は事実の積み重ねだ。

その事実とは、この瞬間の積み重ねだ。
瞬間の積み重ねの結果が1日であり、
1日の積み重ねが1年だ。

何かのためではなく、そうしたいから(書き留めておきたいから)、書き留めておく。

健康のためではなく、走りたいから適度に走る。職業画家になりたいためではなく、趣味の1つに加えたいからでもなく、今ただ描いてみたいから、スケッチする。職業歌手になりたいめではなく、趣味の1つとして加えたいからでもなく、今ただ歌いたいから、カラオケで歌う。学者になりためではなく、趣味の1つに加えたいからでもなく、今ただそのことを知りたいから、調べる。

人生の目的としてはではなく、ただそれを今その瞬間にしたいから、する。刹那的とも言えるが、それでいいのだと思う。刹那的でむなしいと思えば、別のことをしてもいい。それこそ、「人生とは何か」、諦めることなく追い求めるために、哲学書を読むことでもよいのだろう。逆説的だが。


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