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自分の仕事が転職サイトの募集ページにないことにきづいた

昨年末、東京から実家のある愛知県にもどってきた。
理由はいろいろとあったので、そこはいまは書かずにおこう。

そろそろ年明けから働きたいなぁ、とおもい、就職のサイトにいくつか登録しよう、と登録していくと、希望職種の項目の欄、わたしがここ10年かけてやってきた活動や仕事は、どの項目にも当てはまらないことに気づいた。

あ、わたしがやってきたことは、街をデザインすること?!
なにをデザインしてきたのかな。
WEBをつくることもしてきたけど、
チラシや名刺をデザインすることもしてきたけど、
たぶん、ひとの背中をおしたり、ワクワクさせたり、
いままで滞っているようにみえた行政と民間と企業をつなぐ役(通訳係と自分では言っていたけど)
みたいなことばかり勝手にかって出てきた、んだなぁ、
ときづいた。

わたしがいちばんワクワクしていたからやっていただけなのだけれど。

そうか、それはどうやったら希望職種として書けばいいのだろう。
業種もなにもどこでもいい。
そういうわたしが、べつに大活躍できなくてもいいけど、
楽しんでもらえる場所があれば、、、

なんておもうけど、どこにあるんだろう。
Code for INAGIとしての活動も、まわりのひとたちに恵まれたから
たまたまできたんだろう、と思っている。

わたしの残りの人生、あと何年、とかいまの時点でわかればそんなに楽なことはないのだけどwそれはわからないから、
70歳くらいまでとして。
あと24年か。
それまでに、わたしが実現したい未来。

こどもたちがおとなになったときに、この日本に生まれてよかったな
とおもえる世の中に。
ママたちが毎日、夜眠りにつくときに、
つらいな、かなしいな、自分がきっとがんばってないからこんなに苦しいんだ、ってつらいままのひとがひとりでもいなくなりますように。
それは世界平和なのかもしれない。
完全になくなる日なんてないんだとおもう。
だけど、
わたしにできることは、まだまだあるはずなんだよなぁ、、、
そのときそのときで、目の前のひとたちの困った、は違う。
的外れの人達へ向けた、「これならきっと誰か喜ぶでしょう?」
は絶対にやめたい。
寄り添いながら、ひとりつずつ、こうしたら、がうまれたさきに、
きっと20年後、30年後、そんな時代もあったね、と笑える日がくるんだと信じている。

このわたしがしてきた活動は、ほんとうに尊いことなんだと、稲城の人たちが言ってくれた。ひとりじゃない。何十人に言われたかな。
でも、ひとりではなにもできないし、わたしのちからなのかな、それは。
とおもってしまう。
たーたん(参議院議員の伊藤たかえちゃん。同級生)のいうところの「インポスター症候群」なのかもしれない。わたしも。
こういうことを、きっと場所が違っても、人が変わるだけだから、きっと目の前の困ったを見つけてしまったら、おせっかいが発動してしまうんだとは思う。
仕事でやることなのか、
ボランティアでやっていくことなのか。
それとも、もうなにも困ったを見つけることはなくなるのか。(それはない気はするな)

いままで二十歳からずっと、自分はプロフェッショナルに何かを極めるタイプではないから、目の前のできることを丁寧に、楽しんで、コツコツと仕事をこなすこと、なら誰にも負けないな、とおもってやってきた。
サラリーマンが大好きだった。
そのあと、何度かの結婚生活を経て、住む場所をかえ、仕事も変え、その都度いろいろな形に変化してきた。
好きだったことは、ITのこと、総務とか人事とか、その他会社のお母さん的なお仕事。全般。そして、この10年。
最初の16年くらいの仕事のほうが自分に向いているのかも、とおもっていたけど、この10年やってきたことは、はたして仕事だったのか。
でも、ほぼ寝ないで仕事なのか地域活動なのかわからないけど、365日、街のこと、テクノロジーで人と人をむすぶこと、シビックテック、かんがえてきた。たのしかった。

こういうわたしの仕事は、いったいどこにあるんだろう。

#この仕事を選んだわけ

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