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Manager不要論はなぜ起きる?

マネージャーを置いていかない

先日参加したRSGT2020の2日目のKeynoteは「Lost in Translation: The Manager's Role in Agile」というタイトルだった。「アジャイルの中で、マネージャーはどのような役割を果たすか」というのは非常に興味深いテーマだ。

Sahotaさんは、講演の中で何度か周囲の参加者たちとのディスカッションを促してくれた。

その中で、少しモヤモヤした出来事があった。「スクラムの中でのマネージャーの役割は?」というディスカッションをする際に、私のまわりでは「マネージャーは要らないから、関わらせていない」という意見が多かったのだ。そう考えている理由が「アジャイルだと要らないっていうふうに聞いてるから」とか「うちのマネージャーは古いヤツだから何言っても無駄」とか、そういうスタンスだったのだ。

その後、Sahotaさんは「マネージャーも置いていかない」という主旨の話をされ、「マネージャーを変える前に自分を変えよう」ともいっていた。

その話を聞いてもなお、「そうはいっても変わらないヤツは変わらないんだ」といっているのを聞き、少し悲しくなった。と同時に、それほどマネージャーを邪魔者だと感じている人がいるという事実を認識した。

しかし、このSahotaさんの話が、ともすると「マネージャー不要論」が支配しがちなAgile系の勉強会に一石を投じたのは確かだろう。

イベント後にゆのんさんが書いたエントリーはこのSahotaさんのKeynoteが背景にあるもので、ゆのんさんと同じく「Engineering Manager」という役割にありながらAgileの界隈にもいて、ときおり肩身の狭い思いをしていた自分には共感しかないエントリーだった。(そして、そのエントリーを読んだことがこの自分のnoteを書こう、というきっかけになった)

マネージャーを救え

RSGT3日目のOSTで、gaoryuさんが「マネージャーを救え!」というテーマを掲げていた。

ここには大勢の人が集まっていた。マネージャーに何かしらの必要性を見出している人、「No One Left Behind」の精神でマネージャーと協働する道を探そうとしている人々だろう。こういった人々がいる、というだけで救われる気持ちだ。

この場で中村洋さんと話したのが、「マネージャーへの期待値が曖昧なので、不要論が出るのではないか」ということだった。

マネージャー何する人ぞ

「マネージャーへの期待値が曖昧なので、不要論が出るのではないか」ー。

エンジニアのことをよく理解し、いざというときには質の高いコードを書き、プロダクトを成長させる才覚に長け、問題の匂いを嗅ぎとる嗅覚があり、経営と現場のよいパイプになっているー。期待値が曖昧であると、このようなスーパーマンを思い描いてしまう。その期待値とは当然ギャップがあるため、マネージャーに対しては常に失望がつきまとうー。

これはけっこう腹落ちした。自分自身、かつてマネージャーにそういうスーパーマン的な期待をしていたことがあるし、マネジメントをする立場になった今としては、ときおりそのような期待があることを感じる。期待してくれてありがとう、俺がんばるよ。

しかし、なぜマネージャーにそういった過度な期待が募ってしまうのだろう?
ここでマネージャーと現場のかかわりをみてみよう。

・マネージャーの業務は非常に多岐にわたる
・エンジニアから見るとよくわからない業務が多い
・マネージャーの業務についてエンジニアに共有する機会は多くない

こういった状況の積み重ねで、実態と期待値がずれ、失望が生まれ、不要論にまでつながっているのではないだろうか。

では、どうしたらいいのだろうか。

以前、「ファシリテーション」についてのエントリーを書いたことがある。ここでは「リーダー」「マネージャー」「ファシリテーター」の役割について説明した。この3つの役割は混同されることが多いと感じており、明確に分けておきたかったのだ。

このように、「どのような役割なのか」を明確にすることが第一歩だ。

そしてもう一つ大事なのは「その役割をチームと共有する」ということだ。
アジャイル開発では、対話を重要な価値観に置いている。 インセプションデッキをつくりながらお互いの方向性を揃えたり、ドラッカー風エクササイズで期待値を見える化したり。
であれば、そのチームと関わるマネージャーも「自分の役割」を明確にし、期待値マネジメントを行うのは必然だろう。

ここまで書いて、「そういえば、幸いにも自分は面と向かって『マネージャー要らねえよ』と言われたことないな」と思った。
(まあ、面と向かって「お前要らねえ」っていう人はそもそもいないのかもしれないが…)

それはなぜだろう、と考えてみた。

・チーム発足時に自分のマネジメントスタイル(役割)を伝えている
・日々の朝会やふりかえり、1on1で期待値を調整している
・本人「以外」からチームに対してのフィードバックを収集する(対面だと言いづらいこともあるだろう)

ここらへんが功を奏しているのかもしれない。

不要論を超えてゆく

曖昧な「マネージャー」という虚像に対して必要だ不要だ、と議論することはそもそも不毛だ。その現場で「マネージャー」と名付けられている役割を明確にし、期待値を明らかにしていくことで、「不要だ」という批判の裏に隠れている真の課題を見つけだす。それこそがとるべきアクションではないか。

一マネージャーとしては、マネジメントというものの重要性を感じている。一方で、アジャイル開発が目指す自己組織化した組織は目指していくべきとも思う。自己組織化していく中で、マネージャーはいつか不要になるかもしれない。いや、そこを目指すべきではあるので、マネージャーというのは「自分の役割をなくすために一生懸命働く」という奇妙な存在になっていくというのが私の考えだ。

そこに向かうためには、いくつかステップが必要だというのはSahotaさんも言及されていた。

その組織が進化していく段階をデザインし牽引していくことが、マネージャーの大切な役割だ。

全体を変えていくためにはリーダーシップが、権限が必要なのだ。

まとめ

・マネージャーはその多様な役割ゆえに過度な期待を持たれやすい
・それが不要論につながってゆく
・ではマネージャーは不要か?というと組織を変化させていく段階では必要
・役割を明確にし、期待値コントロールを行うことで不要論から脱する
・マネージャーとチームとで理想的な組織へと向かっていく

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