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チームジャーニーを読んだ 第ニ部

複数チームのジャーニー

市谷聡啓さんの新著「チームジャーニー」を読んだ。この記事は後半の「複数チームのジャーニー」に対しての感想であり、前半については下記記事をご覧いただきたい。

チーム間に横たわる境界

第二部を読み始めてすぐ感じたのは、「あ、これは第一部以上にリアリティがあるな」ということだ。

第一部で描かれるチームは多くの問題を抱えていた。しかし、3つの問いやミッションジャーニー、チームフォーメーションなど市谷さん自身が活用し磨き上げてきた実践知でその問題と向き合っていく様は、かなり先進的でしがらみのないチームのそれだった。(それがリアルではない、ということではない。念の為。)

それが第二部はどうだ。チーム間には分断が横たわり、横断的に課題を解決するチームをつくればそこにしわ寄せが行き、チーム間を飛び交う問い合わせや依頼はいつも「緊急」だ。モダンにチームビルディングを進めてきた第一部からするとずいぶんレイドバックした印象を受ける。しかし、それだけにリアルだ。こういった衝突は、職能別組織であったり階層型組織だったりではよく見られるものだ。

そういった中で、「マネージャー」という役割を担う人々は情報の流通を設計し、意思決定し、視座と視野の切り替えを行いながらなんとか組織の方向を整えている。正直、自分は経験からくる感覚でやっている部分があるが、この第二部では徹底的に言語化する試みがなされている。

組織が大きくなり複雑度が増す。そして、それぞれの組織では異なる力学があり、そこに乗る変数も当然異なってくる。そういった意味で、ここで解説される方法論を踏襲すればうまくいくわけではない。自らの文脈に落とし込み、問をぶつけ、行動していくしかない。ある種のバイブルと化し教条主義に走る現場がないようにか、繰り返し「現場の文脈を読め」というメッセージが伝えられる。

そう、この本自体、「これに従っていれば君と君のチームはハッピーだ!」という啓蒙書ではない。問をぶつけるもの、そしてその問に対するいくばくかの方向性を示してくれるものなのだ。

エンジニアが視座や視野を意識する意義

個人的には、おそらくいわゆる「エンジニア」が手にとるであろうこの書籍で視座、視野や俯瞰と詳細の往来といった概念が扱われた意義は大きいと考えている。現場で「偉い人」から「もっと視点を高くもて」と言われた経験を持つ人は多いだろうが、なぜなのかについては説明されない。なので視座や視野の話をある種胡散臭く感じる向きは少なくないが、ここではなぜそれが必要なのか克明に記されているのだ。

チームにいるとチームの視座からの眺めばかりみるし、もっというと開発に集中しているときは自分自身の視座に囚われやすい。しかし、現場と向き合っているときにはむしろこれは必要な視座なのだ。むやみに視座を高くするのではなく、必要に応じて往来する必要がある。それが示されている本書の意義は大きい。

自分のハンドルは自分で握る

チームが機能期にあるとき、それぞれがほぼ無意識レベルで役割分担し、お互いの強みを活かしながら成果を出してゆく。そういった状態にチームがたどり着いたこともあるし、残念ながらそこから後退してしまったこともある。

チームがそんな状態にあるためには、「自分のハンドルは自分で握る」ことが必要なのだろう。誰かが何とかしてくれるー。自分の外側にあるなにかが原因で、自分の願いは叶えられないー。そんなふうに自分とチームの間に境界を作っていては、チームは機能しない。

チームが成長し機能する過程をストーリーに落とし込み、手に取った読者が自分のハンドルを自分で握る覚悟を後押しする。チームジャーニーは、そんな本だ。



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