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オンラインカンファレンス時代のナレッジマネジメント

はじめに

この記事は、勉強会やカンファレンスにおいて学びを最大化するための方法に関する一考察だ。

勉強会やカンファレンスは、いうまでもなく「勉強」する、換言するならば自らのナレッジを増強する営みに他ならない。
もちろん、ナレッジ増強以外にもコネクションの形成だったり、場の力学で集合知が創発されるといった役割も、これらには存在している。
が、本稿は「個人のナレッジ増強」にフォーカスして論じる。

前提:SECIスパイラル

本稿では、その前提に「SECIスパイラル(モデル)」を置く。野中郁次郎先生により提唱されたナレッジマネジメントの枠組みだ。初耳だ、という方は以下の記事などで概要を掴んでから読み進めていただけるとありがたい。

共同化は、いつ起こる?

講演を聞き、ハンズオンに参加し、得られた暗黙知は個人に蓄積される。この暗黙知が共同化される場は、これまでは休憩時間の廊下や控室、そして懇親会などだった。

しかし、2020年には勉強会・カンファレンスのオンライン化が急速に進んだ。当然廊下も無ければ控室もなく、懇親会も対面というわけにはいかない。

オンラインのつながりで、暗黙知は共有できるのだろうか。共同化は起きえるのか。

ここは「できる」、それも従来の形態よりも素早く、深く行うことができると言い切ってしまおう。

ここ最近のオンラインカンファレンスでは、Zoom+Discordという形態がデファクトスタンダード化している。これにより何が行われているかというと、「リアルタイムの実況」が非常に活性化しているのだ。

いや、以前からハッシュタグをつけてTwitterで実況する、というような動きはあった。しかしここ最近のDiscord上における実況の量はその比ではない。
圧倒的流速の中で、誰が投げた問に誰が答える。
誰かの感嘆に同意のさざなみが起きる。
誰かの解釈に誰かの解釈が重ねられる。
まだ確信にたどり着いていない、論理的整理される手前の生の声が交わされ、いつしか巨大な暗黙知の塊がそこに表出する。

しかし、なぜオンラインではこの動きが活発なのだろうか。
もっと前提から問い直すと、この活発さはオンラインだからなのだろうか。

私の考えでは、半分くらいオンラインだからこそかな、と思っているが、半分くらいはそうではないとも思っている。オンサイトであっても、このような場を作ることは可能だと思っている。

キーになるのはDiscord。Twitterと異なり、このカンファレンスに参加している人という明確な境界線の中で行われるチャット。眼前のチャットに流れる情報すべてがカンファレンスの情報なのだ。「カンファレンスの話をしてもよい」という安心感が「現場感」を生み出しているのではないだろうか。

そして、この形態はオンラインカンファレンスという「現場で話すことができない」という制約事項があってこそ産まれたものだ。そういう意味で、「オンラインだからこそ」はやはり、半分は正解なのだ。

表出化と連結化の進行が速くなった

Discordの流れも速いが、はてなやQiita、noteにレポーティングされるまでの速度も随分と速くなった。
(自分自身も、2020年は「即レポ」に何度かチャレンジした)

だいたい、以下のような感じで学びが広がっているイメージだ。
発表直後〜数日:学びの直接的なレポート(表出化)
一週間後〜:様々なレポート、カンファレンス後の意見交換から産まれた集合知(連結化)

内面化まで、できているか?

このようにSECIスパイラルをまわす各要素が立ち現れる速度は、一年ほど前と比べて目も眩むようなものになった。

しかし、内面化はどうだろう。

個人的には、時折消化不良を起こしている、というのが正直なところだ。インプットを咀嚼し自らの暗黙知に落とし込む過程の途中で、次のインプットが来てしまう。
自分自身もレポーティングなどでアウトプットしようとすらと、なおさらこのスパイラルの速さに翻弄されてしまいかねない。

自分の学習戦略をもつ

基本的には、オンライン化によりSECIスパイラルが高速化していることは好ましいことだ。場の学びが加速しているようなカンファレンスに参加することで、いまいる地点よりずっと遠くにまでたどり着ける。

一方で、スピードに翻弄されてしまい学びが消化不良になるのはもったいない。

ではどうしたらよいか。私からの提案は「自分の学習戦略をもつ」ということだ。

たとえば私の場合、以下のように考え行動している。

・参加者が多く、チャットが活発→実況や質疑をメインに据え、レポーティングは行わない。もしくは後日、頭の中で整理されたものをアウトプットする。
・参加者が多く、チャットが静か→レポーティング前提で取るメモをメインに据え、実況はときどき。質疑はなるべくおこなう
・参加者が少なく、チャットが活発→レポーティング前提で取るメモをメインに据え、実況はときどき。質疑はなるべくおこなう
・参加者が少なく、チャットが静か→なるべくチャットを賑やかしつつ、レポーティング前提で取るメモをメインに据える

参加者が多くチャットが活発のときのみ、レポーティングを捨てるという選択をとっている。これにはいくつかの理由がある。

・大人数でチャットが活発なときは暗黙知の交換・融合が活発に行われており、その渦の中にいることで学びが深まる(単純に楽しい)
・大人数参加の場合、誰かしらレポーティングしている人がいる可能性が高い→自分の考えとしては学びの渦の中にいるほうが高優先度

また、参加者が少なくチャットも静かなときは、「ワイが盛り上げたる!いきいきさせたる!」という謎の使命感から実況をこころもち多めに行っているつもりだ。

この戦略が最適かはわからないし、他の人にとっていいものかもわからない。けれども自分にとっては納得感のある戦略だ。この納得感が大事で、納得は全てに優先する。

学びの最大化に知恵を絞れ

限られた時間の中、わざわざ勉強会やカンファレンスに参加する人は学びが好きな人だ。好きなことが上手になったら、もっと嬉しいしもっと好きになる。
勉強会・カンファレンスのオンライン化は学びやすい時代へと我々を誘う。せっかく学びやすい時代がきたのだ、それぞれの知恵を絞り、学びを最大化していこう。

そして、よい学び方のカタが見つかったのであれば、ぜひそれを「共同化」し「表出化」しよう。するとその形式知は「連結化」され、やがてその形式知に触れた人々の暗黙知として「内面化」してゆくのだ。

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