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見積りは相対的に行ったほうがわかりやすい、ということを肌で感じた話

車で退屈する子供

日曜の朝は礼拝に出かけることが多い。(妻が。私は運転だけして、本屋やラーメン屋をブラついている)

だいたい車で30-40分くらいかかる教会に通っている。そうすると、子供たちは飽きてくるわけだ。そこで強い味方になってくれているのが「トムとジェリー」だ。
まだ言葉を話さない第3子も、トムとジェリーは楽しそうに見てくれている。

しかし、このトムとジェリー、もう何十回と見ている。そのため上の二人はセリフをそらんじることができるし、なんならちょっと飽きている。

そういうときに出てくるのが「ねえ、まだつかないの?」攻撃だ。

「あとどのくらい?」の問い

上の子どもたちは「ねぇ、あとどのくらい?」と頻繁に聞いてくる。
私が運転する傍らで、妻が「あと15分だよ」などと答えているが、「えー、それってどれくらい?」という質問が返ってくる。エンドレスだ。

しかし、何回かこのやりとりを繰り返したあと、何かを思いついた長女がこう聞いてきた。

「家からで考えると、あとどれくらい?」

この質問には唸った。何分だ、何kmだという数字を出されてもピンとこないので、自分からピンとくる指標を持ち出してきたのだ。
妻が「だいたい駅くらいまでかな」と答えると、どうやら理解した様子。そしてその例えが気に入ったのか、たびたびきいてくる。

「ねぇ、いまだと家からどれくらい?」「本屋さんだよ」
「ねぇ、いまだと家からどれくらい?」「〇〇公園かな」
「ねぇ、いまだと家からどれくらい?」「パン屋さん。もう目と鼻の先だよ」

知っている尺度で答えが返ってくるためか、「じゃあもうすぐだね!」と喜んでいる。まだ掛け算割り算の概念を知らない子供たち相手だったので、今回は全て知っている場所に例えた回答だった。が、もう少し年齢が上になれば、これが「本屋さんまでの倍くらいだよ」といった回答でも伝わっただろう。

改めて、「規模感を知っている尺度」をもとにした見積りの威力を感じた。幼稚園児が、到着時刻について予測をたてることができるわけだ。(そして親バカな親としては「うちの子どもはアジャイル開発の申し子だ…!」と一人感動するなどした)

ストーリーポイントでの見積りがしっくりこない場合、あらためて生活に根差したところで相対見積りのやりやすさを体感してみるとよいのではないか。

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