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vol.208/ 恋に落ちたポイントと、断捨離

“暑さ寒さも彼岸まで”
いやいや、令和の夏にもはや通用しないだろ!?時代にあってないぜ!なんて思っていたら、あらまあどういうことでしょう。あっという間に朝晩はとってもとっても過ごしやすくなり、秋を感じる機会も増えてきた。通用しないだろ、なんて少しでも思ってしまった私は、ことわざの奥深さに脱帽。(というかすみませんの気持ちでいっぱい)
この時期は朝起きることが(心地良すぎてやっと寝やすくなって)より一層キツくなるのが秋の始まりであり、そうちょうど今。それに伴い着る洋服や寝具も夏の感覚が抜けず、ずるずるしていると風邪をこじらせるのも常。(これは一刻も早く対処しなければならぬ)ということで、衣替えの前にクローゼットをまた整える時期に突入した。約1年半断捨離を進めてきて家の中が見違えたのはもちろん、私のクローゼットも大きく変わったその中のひとつなのだ。

この“大きく変わった”というのはまさに、“大変”でもあった。ここまで漕ぎ着けるのにスムーズだったことなんか全くもってなかった!と言えるくらい、ものととことん向き合い手放しを繰り返す作業はまさに“大変”そのもので。この大変な作業を繰り返すうちにひとつの指針みたいなものが出来上がってきたようにも思う。それはひとつのものをフラットに見るという視点だ。って文字だけ見ても???。

では例えば、数年前に奮発して買ったブランド物のパンツ、だがもうサイズアウト。数年出番が無い。それとユニクロで買ったパンツ。最近買ったのだがシルエット、特に丈感が最高に私の脚を綺麗に見せてくれるので気に入っている。この2本のパンツを買ったときの金額やブランド、感情も抜きにして床に一旦並べてみる。どちらも黒いパンツ、然程品質も変わらない。改めて、前者は数年穿いてはおらず、後者は最近買ったが今一番出番のあるパンツ。ここまでの作業を経てやっとものをフラットに見ようとしている自分がいる。それまではやれ、あの時大金を積んで買ったであるとか、もう手に入らない物だとか、云々。手放したくない言い訳が続く。でもそんな手放したくない私は、この子を全く使いこなせていないわけだ。何ならサイズアウトしている時点で話にならない。にも関わらず、手放したくない言い訳が永遠続いていたわけだ。
…とここまではフィクションであり、あくまで例え話。でもこれは服に限ったことではなく、様々なことに当てはならないか?私はどっぷり、それはもうどっぷりと当てはまりまくって、色んなものを見直していったら想定外なものが残り、まさか!というものが私を離れていった。


この視点が元から備わっている人間が一番近くにいる、それは夫だ。損得で判断しない、そもそも天秤にかけない。いやまさかそんな人間がいるのか。いたのだ、そんな人間が私の夫だ。彼は今欲しいから買い、買ったらすぐ使いこなしとことん使い倒し、サヨナラする。素敵なブランド物のベルトを見て、やっぱり上品だし色味も良いなー!と言いながら、でも俺は10年以上使い続けているこの何の変哲もないベルトが好きなんだよなー!壊れもしないし気に入っているのに、買い換えるという選択もないなー!と言って笑う。そんな彼の考え方や物事を見る視点が私には眩しすぎて、そんな才能に恋に落ちた。何にも縛られていない、自分を締め付けるようなルールなんか1ミリもない。だから彼というフィルターを通してみる世界も何にも縛られていなくってフラットであり続けている。だが恋に落ちたこの才能であったが今よりもっと私が若い頃、このどこまでもフラットな姿勢に、強弱を求めてしまうことも多々あった。眩しいフラットさが何処となくクールで時に冷たく感じさせた。でもやっぱりここに戻ってくる、彼のそのフラットな視点に強く憧れていて、それでいて尊敬しているのだ。

惚気たい訳じゃない、ただこのひとつのものをフラットに見るという視点は、これからのよりカオスな時代、皆が養っていくのに適した時代ではないだろうか。モノの価値はお金だけが作るのではなく、損得や上下で価値が高まる訳でも下がる訳でもなく。ましてや天秤にかけて周りに配置することでもない。どこまでもフラットに、感情にも左右されず平等に接し、扱う。物事と感情とを切り離す。ここまできてやっと、対等に物事と向き合い始めたに等しいと言えるのかも知れない。彼の考え方に触れ、そして今断捨離を進めながらゆっくりと、でも確実にフラットに物事を見る視点は養われてきている。サヨナラすることは怖いことでも、はたまた損することでもないのだ。ただただ“また会う日まで!”というライトな感情と行動で在れたら、ただそれだけで良い。大きく変わる時はいつだって大変なのだ。



3連休最終日、素敵な日になりますように♡

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