自傷行為って結局なんでするの?

*自傷行為に嫌悪感を感じる方は読むのをおすすめしません。また本記事は自傷行為を助長することを一切目的としておりません。あくまで私個人の感想です。

自傷行為の根っこ

電車でオレンジ色のTシャツを着た、よく陽にやけた、野球道具を抱えた健康そうな男性の腕に幾筋もの自傷痕があるのを見かけたことがあります。
飲み会で快活に笑い冗談を絶えず言っている女性の手首が、自傷痕で埋め尽くされているのも見たことがあります。
かくいう私の腕や太ももやふくらはぎや二の腕や足首にも、無数に傷痕が残っています。(現在はしておりません)

レーダーのようなものなのでしょうか、自分に痕があると、ほかの人の痕にも目がいくんですね。でも、お見掛けするどの方も、とても自傷をするような方には見えなかったのです。

なぜ自分のことを自分で傷つけてしまうのでしょうか?

冷静になって考えてみると、不思議ですよね。自分で自分を切っても痛いだけですし、血は出るし、傷からばい菌が入るかもしれないし、そのまま寝るとベッドシーツは血で汚れてしまうし。全然いいことなんてないんです。それでも続けてしまう。

昔何かの新聞記事で、自傷についてのニュースを目にした記憶があります。ある学校で、一人の生徒が自傷行為を始めたら、それを目撃した生徒も続々と、「感染症のように」自傷行為を開始したと。

人の心の痛みは目に見えません。テレビをつけたりSNSを開けば、たくさんの人の大きな苦痛が流れ込んできます。でも、いまここで暮らしている自分の痛みをそっくりそのまま表す方法なんてないですよね。自分がつらいことをうまく表現できない。自分がつらいのかどうかもわからない。自分がつらくあってはいけないような気がする。どうして自分のつらさだけ人から理解してもらえないのかわからない。形のあるつらさを抱えている誰かが羨ましい。自分だけ心配してもらえないのが不公平に感じる。文章で列挙すると少し陳腐に響きますが、こうした感想を率直に抱いてしまう人もいるのではないかと思います。

でも、切れば切るほど、つらかった出来事や記憶がどんどん形になって刻まれていきます。

あれだけどう表現していいかわからなかった苦しさや憤りや生きづらさが、鮮やかに具現化されていく感覚は人を魅了します。「その手があったか!」と一度思ってしまうと、なかなか抜けられなくなります。

けれども、もう少し紐解いてみると、つらさなんてそもそも形にならなくってもいいものですよね。人と比べるものでもなければ、だれにも完全に理解してもらえるわけでもありません。わかっているけど、人と比べてしまうし、誰かに完全に理解してもらいたくなる。その苦悩に揺れているうちに、自傷という行為に迷い込んでしまう。

自傷をどう考えればいいんだろう?

「自傷」と言われると、なんだか怖いですね。まともじゃない行為のような気がしてきます。

たとえば彼女に振られたとき、何をしますか。そんなに好きでなければあまり傷つかないかもしれませんが、たいていの場合そうではないと思います。お酒を飲んだり、甘いものを爆買いして食べてみたり、ずっと辞めていた煙草にまた手を出してみたり。私は絶対コンビニで某かき氷アイスバーを大量に買い頭が痛くなるまで食べます。そういうのって、珍しい話ではないですよね。

たくさん甘いものを食べたりお酒を飲んだり煙草を吸うことは身体に悪いことなのに、気を紛らわすためにやってしまう。私たちはそうした身体に悪い影響を与えることで、「身体ばかりが健康な状態」をどこかで忌避しているのかも。

そうした特別な事情がなくても、自分の爪を噛んだり、髪の毛を抜いたり、口の中の肉を噛んでしまったり、唇の皮をむいたり、そういった行為も一種の自傷と捉えることも、できなくはない。知らず知らずのうちに、自傷のテリトリーに足を踏み入れてしまっている人もきっといるはず。

本文冒頭で、自傷に嫌悪感のある方はお控えくださいと書きましたが、そもそも「自傷」という概念は、もう少し広く、もう少し身近なものだとわたしは思っています。
良い悪いの判断を急ぐ前に、まずはそのことに思い至る人が、少しでも増えていってくれれば。刃物で身体を傷つけてしまう前に、できることはきっとあると思うのです。

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