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【短編】ある復讐者の話【二次創作】



 冬の風が、墓地を撫でつけていた。
 そこらじゅうに雪が残っている。無数に並ぶ墓石は雪をかぶり、名前と墓碑銘は白く潰れ、どこの墓にも、供物は何もなかった。

 この寒さの中では当然だ、と俺は考えた。猛吹雪の翌日、曇った1月のこの天気の下、墓参りなどする奴はいない。普通は。
 その寒風の中で佇む男を認めた時、俺はため息をついた。吐く息が白い。つまり奴は、普通じゃないということだ。 
 奴は、ジョニィは本気でやるつもりなのだ。
 復讐を遂げるつもりなのだ。


 ジョニィはある墓の前で手を合わせていた。
 純白に覆われた他の墓とは違って、それは綺麗に掃除されていた。
 それどころではない。1メートル×1メートルの一区画、ひとつの墓にあてがわれている空間の中には、ゴミや雪の欠片すらもなかった。
 花束が立てかけられていた。まぶしいほどの色合いが周囲の白から浮き上がって、目を刺すほどだつた。
 花束の脇にはロウソクが一本、さらにその脇には、食べ物が添えられている。
 ロウソクの火は冷たい風に巻かれてとっくに消えていた。それなのにジョニィは熱心に両手の指を絡めて、膝をついて祈っている。
 黒く長いコートは喪服のように見えた。裾が雪の上に投げ出されて汚れていた。きっとあのコートの下には、銃を下げているだろう。


 1年前までは「神なんて信じないね」と言っていたジョニィだった。
「祈り(Pray)や願い(Petition)に効果があるか? 俺が信じるのはカネ(Money)と拳銃(Gun)だけだ」


 そんなことを言っていたジョニィは、半年前のある出会いですっかり変わってしまったのだった。 
 

 ジョニィが、膝をついて祈っている。死んだ者に祈っている。届くはずのない祈りだ。
 俺はひやり、と寒気を感じた。冬のものではなく、精神的な寒気だった。

「ジョニィ」
 俺が声をかけると奴はハッと身を起こした。脇の下に手を入れようとする直前、俺の顔に気づいた。
「ノーマン。どうしてここが」
「……“犯人”がわかったそうだな」
 俺は奴の質問には答えずに聞いた。
「……ああ」
「うちのファミリーと懇意にしてるギャングだ。しかも──」
「しかも、そこのボスの息子だってな」 
 ジョニィは後を引き取った。
「遊び半分で銀行強盗をしたらしいじゃねぇか、そこの息子さんは? 素人以下のクソみてぇに雑な仕事だ。おかげで銀行員に通報ボタンを押され、警察が来て、なしくずしに銃撃戦になった。それで──それで」
 ジョニィは顔を歪めて、墓石を見た。

 犯人側、重傷者1、死者1、ひとり逃亡。
 警察側、軽傷者4、重傷者2。

 そして、犯人側の撃った流れ弾で死んだものがいた。

 それが奴の、ジョニィの相棒で友達だった。

「俺はその日、買い物に行ったんだ。10分ばかりの買い物だ。肉に野菜にパンに、とにかくそういう、いつもの品物を買っていた。いつもの休みの日だったんだよ、ノーマン。本当に平和な休みの日だったんだ」

 俺は黙っていた。2ヶ月前のあの日から何度も聞かされた、苦しみの言葉だった。

「俺は店のウインドウのそばに行って、外で待っているあいつを見たんだ。奴はちょっとこっちを見て少し笑った。そしたら銃声がした。そしたら、ウインドウの外で、あいつの体が痙攣して」

 ジョニィは絶句して、手の平で目を押さえた。今まで幾度となく繰り返されたシーンだった。

「俺は外に走り出たんだ。あいつは首を振った。俺に『出てくるな』って合図だ。でも俺は出ていった。弾は腹に当たっていた。もう助からない傷だった。体がぶるぶる震えて。向こうでパラパラと拳銃の音がして。あいつは涙を流していた。俺の目を見た。それから、あいつの目が閉じた。死んだんだ。死んじまったんだよノーマン。俺の目の前で。あいつは」

 いつもは、ここで話が終わるのだった。
 だが、今日は違った。ジョニィは絞り出すように、身をよじりながら続けた。

「あいつは、俺の稼業を知らなかった。仕事に関わらせたことも、匂わせたことも一度もない。一度もだ。神経が細くて、ひどく気の小さい奴だったから。
 半年前に店で出会った時から、こいつは荒事に巻き込みたくないと思った。あんな可愛らしい奴をマフィアだのギャングだのに関わらせたくなかったんだ。
 それなのに。それなのにこれだ。俺は神を信じる。悪どい神を。俺からあいつを奪った。因果応報だって言うなら悪党の俺を死なせるべきだ。それなのにどうして、何故こんなことに」
「ジョニィ」
 俺は一歩前に踏み出した。奴の肩を掴んだ。
「やめておくんだ」
 ジョニィは顔を上げた。俺は全てわかっている、という顔で頷いた。
「復讐は虚しいなんて綺麗事は言わん。だがな、向こうの組織の息子を殺したとなったら、戦争になっちまうんだ。わかるだろう?」 
 ジョニィはハハッ、と小さく笑った。ぞっとするような笑いだった。
「知らないのか。俺は今朝、ファミリーを抜けてきたんだ」
 今度は俺が絶句する番だった。 
「向こうさん、あっちのギャングにも一筆、送っておいたよ。『これはファミリーとは無関係の、個人的な復讐なり』『本日より、息子さんのお命を狙わせていただきます』『いかなる手段を使っても、おたくのクズ息子をブチ殺します』ってな」

 ジョニィは俺の目を見た。
 必然、俺もジョニィの瞳を見ることになった。

「もう俺を止められない。お前にも。誰にも。絶対に」

 ジョニィの瞳の奥には何もなかった。黒く、果てしなくからっぽだった。

 そうか、と俺は言った。
 俺はこいつを説き伏せるか、殺すかして止めようと思ってここに来たのだった。組織の命令ではない。「個人的に」だ。 
 だがもはや、こいつは止められないと悟った。

「じゃあ、行ってこい。生きては帰れないだろうがな」
「止めないのか」
「止めようとしても、止まらないだろう?」
 止めようとすれば、俺の方が殺されるに違いなかった。
 手負いの獣より、心に傷を負った人間の方が恐ろしい。
 ジョニィの虚ろな瞳に、かすかに光が宿った。
「ありがとう、ノーマン。じゃあ俺は──殺して、死んでくるよ。他の奴らにもよろしく伝えてくれ」 


 祈っていたせいで丸まっていた背をしゃんと伸ばしてから、彼は俺の脇を通った。
 ちらりと見えたコートの内側やベルトに、無数のナイフや拳銃が差し込まれているのが見えた。


 遠ざかるジョニィの背中を見ていると、いきなり寒気が襲ってきた。
 空から綿雪が落ちてきた。風に巻かれて横へ流れていき、俺の身体にぶつかる。なるほど、寒いわけだ。
 俺は無性に煙草が吸いたくなった。ポケットから取り出して、ジッポーのフタをかしゃん、と開けた。
 すると、ジョニィが振り返った。


「そこで煙草は吸わないでくれ」 
 ジョニィは大きな声で言った。
「そいつは煙草が嫌いなんだよ。そいつが来てから俺は煙草はやめたんだ。頼む」
 これはただの墓石だろう、と指摘する気にはならなかった。
「そうか。じゃあやめておくよ。しかしお前は本当に、 モルカー 思いだな」 

 俺が大声で応じると、ジョニィは遠くから答えた。

モルカー じゃない、ピットだ。そいつはピットという名前だ。P、I、Tでピットだ。白い、柔らかい毛のテッセルだった」

 そこで奴は、言葉を切った。それからこう付け加えた。
 
「なぁノーマン。俺の名前を覚えておくなら、そいつの名前もセットで覚えておいてくれないか。モルカーと、そのモルカーの復讐に走った奴としてな──」





 2日後の夜、ファミリーの電話番の若造がノックもなしに詰め所に駆け込んできた。
「警官からです」息を切らしていた。「ジョニィさんが。ジョニィさんが──」
 それからその場に崩れ落ちた。ジョニィに優しくしてもらっていた新入りだった。


 ジョニィは死んだ。
 向こうの組織のボスが用意していた隠れ家に突入して、首から下が全身穴だらけの血まみれになって死んだそうだ。
 ボディーガードたちは全員、軽傷か重傷で済んでいたが、奥の部屋に隠れていたボスの息子はくたばっていた。
 頭に一発とか心臓に一撃ではなかった。腹の、傷つくと一番苦しく、しかし確実に死ぬ部分に、鉛をぶちこまれて死んだらしかった。
 腹から血を流しながら、部屋の中を這い回った形跡があったらしい。すさまじい形相だったとも聞く。相当苦しんだのだろう。
 ピットが弾を受けたのと同じ部分にブチ込まれたのだろう。俺はそう思った。



 数日後の朝、俺は再びモルカー専用の墓場に出向いた。
 昨夜、意地の悪い冬がまた横殴りの吹雪をもたらしていた。風雪はピットの墓に置かれた花をどこかへ飛ばし、墓石や供物を、白く硬く包んでしまっていた。
 俺は雪を払ってやった。 
 雪の下からしなびた人参が2本、顔を出す。ピットの好物だ。ジョニィとの別れのあとで確認していた。

 俺は小さな紙袋から、新しい人参を2本出して、それを供えてやった。


 祈るべきかどうか迷ったが、やめておくことにした。どう祈ればいいのかわからない。
 言葉をかけようにも、これはただの墓石だ、そう思った。


 ジョニィは天国に行っただろうか。そう考えてみた。おそらく行けないだろう。こんな汚い稼業をしている俺たちが、天国に行けるわけがない。
 モルカーに天国はあるのだろうか。次にそう考えた。あるかもしれない。ピットはそっちにいるはずだ。
 もしあの世があるのなら、何かの偶然でジョニィとピットが再会できないものかと、俺は想像を巡らせた。
 だがどうにも、いい場面が思いつかなかった。


 身を起こし、立ち去ろうとした。その時だった。




「キュウ」


 

 モルカー特有の、あの鳴き声が聞こえたような気がした。
 俺は振り返って、周りを見渡した。
 モルカーは、どこにもいなかった。


「風か」
 俺は呟いた。


 その日はまるで無風だった。しかし俺は、風だと思い込むことにした。 
 どうやらいよいよ、俺には信仰心というものがないようだった。 


 雪がちらちらと降ってきた。先日と同じ、綿雪だった。風のない中を優しく、やわらかく降りてくる。
 白い柔らかい毛だったというピットのことを思った。そしてその車内にいて、ハンドルを握って穏やかな顔をしている運転手の姿を想像した。


 俺はもう立ち止まらず、墓地を後にした。


 誰が降らせた雪なのか。
 モルカーの墓地を白い雪が、静かに、音もなく、ゆっくりと包んでいく。






【完】

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