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【怖い話】 伝説の男 【「禍話」リライト 21】

 その土地には、遺棄された病院があった。
 誰かが死んだ、何かが起きた、そんな因縁は伝わっていなかった。
 だが異様な廃病院だったそうである。



 まず、機材や道具があらかた残っていたのだそうだ。
 経営を放り出すにしても、どこかに持ち込んでカネになりそうなものは回収するはずだ。それがほとんど残っている。
 医者や看護師が一晩で消えてしまったみたいに、ほとんどが手付かずで放置されていたのだという。



 そして、「2階から上に、誰も行けない」らしかった。
 障壁があるわけでも床が壊れているでもない。1階の踊り場あたりからギュッと雰囲気が変わる。寒気がしたり体が重くなったり胸が苦しくなったりして、本能が「ここから先には行くな」と教えてくる。
 じゃあ昼ならば、と太陽の高い時間に侵入してもまるで同じで、踊り場から上へ向かう足が動かなくなる。
 霊感のある人間はここには絶対に寄り付かなかった。何故寄り付かないのかは誰も言わなかった。
 根性が命の不良グループの間ですら、廃病院だけは例外的に「どうしても無理な場所」と判断されていたそうである。




 そこもついに、取り壊しが決まった。
 妙なもので、昼や夕方に業者や現場の男たちが下見に来ると、噂が冗談みたいに2階から上にヒョイヒョイ昇っていく。
「建物」の側が、物見遊山で来る輩と、仕事で来ている人間を峻別しているかのようだった。





「おォい、このままでいいのかよォ」
 地元で不良をしていた田中が、酒の席でそう言い出したという。
「オメーら、あそこもうすぐ壊されンだぜ。そしたら誰もよぉ、2階から上に行けずに終わっちまうじゃねーか。
 あそこが無くなる前によ、オレらで2階、制覇して、伝説作ろうぜ伝説。やってやろうじゃんよ、なぁ?」
 その席にいた同い年の仲間も後輩も、酒の勢いもあり「おう、行こうぜ行こうぜ」「やってやりましょうよ!」と盛り上がった。

 酒が入ったままバイクに乗って、廃病院まで出向いた。


 怖くもなんともねぇ、といきがって足を踏み入れたはいいが、やはりそのような建物なだけあって、もはや1階からして空気が違った。
 酔っているのに軽い気持ちで進めない。酩酊とは違う足の重さを感じる。おおいかぶさるような異様な圧力が充満している。
 しかし不良を任じている男たちだから、弱音は吐けない。
「チッ、なんなんだよここはよォ」
 そう愚痴りながら奥へと進み、階段を昇って踊り場まで来た。



 …………進めない。
 噂通り、本当に踊り場あたりから空気の密度が明らかに濃くなっている。
 ぬるく溶けた泥の壁が、2階への道に立ちふさがっているみたいだった。行こうと思えば行けるはずだ。だが「泥」の中に体を突っ込む気になれない。息ができなくなりそうな、命にかかわりそうな、そんな予感がある。
「クソッ」田中は持参していた缶ビールを開けて一気に飲み干した。「確かに妙な感じはするな」
 田中は缶を投げ捨てて、意を決したように2階へと続く段に足をかける。手には携帯の明かりしか持っていない。
「でもよォ、ここで帰るわけにはいかねぇんだよ。オレは伝説を作りにここに来たんだからな」
 一歩ずつ確かめるように、段を踏みしめる。
「お前らもそうだろ? 伝説作りにきたワケだろ? なぁ!!」


 友人や後輩たちは頷きはするものの、動けない。田中の姿を見ていることしかできない。
 階段の中程から、ゆっくりとしかし確実に、彼の歩みは早まっていった。


「オラァ!! ここまで来たらもうイケるじゃねぇか!! 伝説達成してやっからよ!! お前ら! 伝説の! 目撃者になれよ!!」


 田中は階段を昇り切り、自分を鼓舞するようにでかい声を張り上げながら、力強く病院の奥へと走っていった。



 踊り場で止まっていた奴らは、田中の無軌道な勇気に半ば呆れ、半ば感動していた。
 実際自分たちは「ビビって」いる。その中から田中は「オレは行くぜ」と宣言して突っ走って行ったのだ。
 不良の世界では根性のある奴がいちばん偉いことになっている。


「行っちゃったよ……」
「スゲーっすね田中さん……」
「マジで伝説だな……」


 顔を見合わせながら感嘆の声を洩らしていると、いきなり全員の携帯電話が鳴った。
 かなりビビっていたので声が出た者や携帯を取り落としかけた者もいたが、液晶を確認して安堵した。田中からの一斉送信メールだった。
 開いてみれば、果たして全員に同じ文面が送られてきていた。




《デンセツ達成!!!!!》




 たぶん、2階の奥までたどり着いたのだろう。田中の短いメールからは自負が感じられた。

 あいつ、すげぇなぁ。

 残った連中は改めて田中の気合を褒め称えた。あいつ、マジで伝説作っちまったわ……




 数分が経ち、数十分が経った。
 田中は帰ってこなかった。




 電話をかけても出ないし、大声で呼びかけてもなしのつぶてである。
 全員がこりゃヤベーな、何かあったんじゃねぇか、と言い始めた。
 度胸試しだの伝説作りだのとは言うが、要は酔っぱらいが、機材がザクザク残る病院の廃墟に入っていったのだ。スッ転んでケガでもしているのかもしれない。


 見に行かないとまずいな、と逡巡していると、来たときと比べて幾分か空気が薄まり、2階へと進めるような気がしてきたという。
 そこでまず、後輩組の2人は残して、田中と同年代の不良仲間2人が階上へと進むことにした。

「なんかあったら連絡すっからな、頼むぞ」

 そう言い残して、重そうな足取りで泳ぐように2階の奥へと消えていった。





 数分が経ち、数十分が経った。
 先輩たちも帰ってこない。





 放っておいて帰るわけにもいかない。後輩組のうち根性のある奴1人が出向くことになった。

「じゃあ俺、行ってくるから……もし何かあったらさ、」

 今日飲み会に来てなかった腕っぷしの強い先輩でも呼んでくれ、そう言い残して2階の奥へと消えていく。





 そいつも帰ってこなかった。





 田中も、先輩2人も、同い年の奴も、誰一人として戻ってこない。
 電話にも出ないし、話し声も、助けを求めるような叫びもない。


 こうなったらもう、行くしかない。


 最後に残された後輩は念のため、ケンカの強い先輩に一本電話を入れてから、どんよりと重苦しい2階へと進んでいった。



 肩や首が突っ張るみたいな雰囲気と恐怖とに包まれながら、廃墟とは思えないほど荒らされていない綺麗な病院の廊下を行く。
 しばらくすると、小さく、かすかに、話し声と金属音のような音が聞こえてきた。 

 奥の部屋だ。

 怯えながら近づいていく。よく聞くとこれが、会話ではない。独り言だった。
 先に行った先輩たちや同い年の奴が、それぞれの口でボソボソと呟いている。
 音も金属のそれではなかった。「カシャッ カシャッ」という、携帯のシャッター音である。



「うわー……これマジで伝説だわ……」
「すげぇなこれ、本物の伝説ってやつだな……」
「やばいッスね……超すげぇ……」
「これは伝説だな……」
「語り継いでいかねーとな、この伝説……」
「いやーすげぇなァ…………」



 その独り言の隙間を埋めるように、カシャッ、カシャッ、とシャッター音が鳴っている。
 もうすぐそこの、元は病室だったらしい部屋から声と音が洩れ聞こえてくる。



 あの人たち、何をそんなに褒めているのだろう。
 何を撮ってるんだ?
 後輩は意を決して、開いたドアから中に飛び込んだ。



 先に行った先輩2人と後輩1人が、部屋の中央あたりにある何かを中心にしてぐるぐる回りながら、「これ伝説だわ……」「すげぇなぁ……」と呟いていた。
 彼らは携帯のカメラでいろんな角度から熱心に、その何かを撮り続けている。



 彼らの真ん中で、田中が首を吊っていた。







「なっ……なにやってるんですかァッ!!!!」



 後輩が思わず絶叫すると、3人は一瞬驚いたような彼を見つめてから、すぐにぶらさがった田中に気がついた。
「うわぁっ、おいお前!」「なにやってんだこいつ!」「そこの踏み台! 使って縄!? ベルト!? 上から外せ!」「なんだよこれ!? なんだよこれ!?」────





 救急車が呼ばれ田中は運ばれたが、彼はもうとっくに死んでいた。
 腰のベルトを使って首を吊った、という話だった。
 一緒に行った不良たちも警察に事情は聞かれたが、元より動機もなく、仮にあったにしても流石にそんな馬鹿なやり方で手にかけはしないだろう。


 田中の死は、突発的な自殺、ということになった。



 しばらくして病院は取り壊され、跡形もなくなってしまった。
 その事件だけは地元の不良や学生たちに、今も伝わっているそうである。










 田中は本当に、伝説になってしまったのだった。














(完)










☆本記事は、無料 feat' 著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」
 禍話 第2夜-1(2016年9月2日放送分) より、編集・再構成してお送りしました。


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