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藤井二冠、頭の中味?

渡辺三冠が棋聖位を藤井二冠に一勝三敗で奪取された後の記者のインタビューで、その中終盤の読みの深さとスピードに驚いて「どうなっているのか、頭の中身を覗いてみたい。」と話されていました。

将棋の読みは現局面からスタートして脳内イメージの盤面上で駒を操作して、次から次へとそのイメージ上の盤面を変化させてゆくのが普通のやり方で、ほとんどの棋士もその要領で読んでいるとのことです。
ところが以前の藤井二冠自らの説明では、どうも盤面のイメージ(画像)を使わずに読みを進めているようなんです。盤面が頭に浮かぶと反って読みの邪魔になると。

ここでヒントになるのが、藤井二冠が幼少期に通っていた「ふみもと子供将棋教室」における詰将棋の訓練です。子供達は机の上にうつ伏せになり、文本先生が「攻め方、3三金、玉方、1一玉、持ち駒、金」と言葉だけで駒の配置を説明し、それを全て暗記して盤面を使用せず頭の中だけで詰め将棋を解くというものです。

上記例はあまりに簡単な一手詰めの問題ですが、実は私も5手詰めの問題を暗記し散歩している間にそれを解くというトレーニングを続けています。(老化防止、認知症予防・・・ー>運動しながら頭を使う!)

自分の場合は暗記した駒の配置と手駒を盤面のイメージにいったん頭の中で再現してそれを動かして解いているのですが、最近ようやく簡単なもので
あれば盤面を想起することなく解くことが出来るようになりました。完全に盤面が消えているのか?どうかは・・・

例えば上記詰将棋「攻め方、3三金、玉方、1一玉、持ち駒、金」と言われれば初級者でもその盤面を思い浮かべることなく「2二金打ち」と正解できるはずです。藤井二冠はこれをもっと複雑な実戦の局面でも頭の中で読みを進めているのではないでしょうか。駒の配置や関係性が記号だけで有機的に動いているイメージです。将棋の読みは一本道ではなく当然、分岐されて
先に行けば行くほど樹形図状に枝分かれしています。その巾と深さが読みの量であり、その速度が読みの速さになるわけです。藤井二冠の場合その量とスピードが他の棋士とは格段に違うのでしょう。

あるワイドショーでも藤井二冠の読みが話題になりました。著名な大脳生理学の中野先生が画像イメージを操作するための頭脳負荷をかけることなく、記号処理だけで読みが進められるなら確かに高速化できるだろうと解説されていました。

詰将棋であればいくら手数が長くても、玉が詰むか詰まないかの判断だけです。記号の読みだけでも巾と深さを調節すれば必ず正しい詰め手順に辿り着けるはずです。

ところが対局は読みだけではなく形勢判断が必要になります。

読む作業だけであれば、記号化された読み筋を追うだけで済みますが、形勢判断には駒の配置を一望に出来る図が不可欠ではないでしょうか?つまり画像による判断が必要になると・・・

しかし、それであれば読み筋の途中に画像が現れ、また読み筋に戻るといった作業が脳内で繰り返されることになります。画像と記号が互いに入り組んで何度も交差する煩雑さが生まれます。

ここからは、個人的な推論になります。

藤井二冠の頭の中で盤面上の駒の配置も駒台の上の駒も全て記号化されて記憶されているとしたら、形勢判断をする場合はそれがいったん操作対象からはずれて、背景化されたところで形勢判断が行われているのではないかと。
また形勢判断が済み読みを先に進める段階では再度、背景化していた局面が前面化(対象化)され読みが追加されてゆくような脳内処理では・・・

上記の一手詰めで考えれば、攻め方、3三金、玉方、1一玉がいったん背景化されて形勢判断を行い、背景化された駒の配置が再び前面化すると同時に解答の2二金打ちの読みが追加されるイメージでしょうか。これであれば画像イメージを使うことなく、記号の背景化と前面化の意識的な切り替えだけで作業はスムーズに進みます。

最近、藤井二冠の「グデ」のポーズ(対局中に脇息に俯せになる)が話題になっています。一説には寝ているのでは?との声もあるようですが・・・、実は彼の脳内では上で述べたように形勢判断と読みの作業が目を瞑っていても何不自由なく続いていることがお分かりでしょうか。

この脳内全駒記号化操作の根拠は皮肉な事に藤井二冠が稀に犯す極めて単純なミスから読み取れます。

一例として:
昨年の王座戦で大橋六段に横歩取りで敗れた一戦があげられます。

相手の8一桂の横に自分の9一竜が成り込んで、有利な形勢で進んでいたところ、なんと!その竜にペタリとくっ付けるように9二飛と手駒の飛車を打ちこんだんです???先の9一竜がこれでは動けず雪隠詰め!!!

多分9一竜を9二に引くつもりのところを間違えて手駒の飛車を打ったものと思われます。画像を使用した脳内操作では絶対に起こり得ないミスです。このように稀にですが盤面の駒と手駒の取り違えが脳内全駒記号化操作では発生するようです。最近は藤井二冠の記号操作が精緻になりこのような単純ミスはほとんど無くなっています。

ともあれ、藤井二冠の脳内を現実的に知る由もありませんが、個人的には脳内全記号操作のイメージは上記のようなものか、あるいはそれに限りなく近いものであろうと推測しています。

一見、この脳内全記号操作には超人的な記憶力が必要なように思えますが将棋の駒は40枚しかありません。例えばトランプのブリッジなんかは52枚のカードを当初の四人の手の内と場にいつ出したかを全て記憶していないと勝負になりません。麻雀だと牌は136枚ともっと増えます。(カードや牌を記号か画像イメージかどちらで記憶しているかは別にして・・・)

また今はとても出来ませんが若い頃は自分の指した将棋の感想戦を棋譜無しで並べて検討していましたし、記号だけで7六歩、8四歩とか感想戦をすることにも抵抗はありませんでした。自分は囲碁も打つんですが手数が200手~300手ぐらいの何度も劫争いが発生した碁を棋譜無しで終局まで並べたり、感想戦もやることができました。さすがに4の四星、16の十七小目とかの記号では無理で全て画像記憶ですが・・・。これは記憶力の問題ではなく、単に興味と慣れと集中力があればだれでも出来ます。(ある一定年齢以上は難しいか・・・)

つまり大事なことは記憶することにあるのではなく、そのデータを使った読みと推理と判断が重要なんですね。将棋、囲碁、ブリッジ、麻雀と何をやらしても弱かった自分が言うんだから間違いないかと・・・

藤井二冠は脳内全記号操作のせいか読みの量とスピードが桁違いであると同時に推理力と判断力も優れているのでしょう。

じゃぁ、盤面イメージ操作型ではなく「幼い子供」のときから藤井二冠の脳内全記号操作型に慣れさせればどうか?との疑問が当然あるところですよね。(いったん盤面イメージ操作型で慣れてしまうとそれからの転換は困難です、何故なら記憶が全て画像で蓄積されているから。)

しかし「ふみもと子供将棋教室」から藤井二冠以外に天才が続々と生み出されていることもないので、藤井二冠独自の現象なのかも知れません。

何故、藤井二冠だけがこんな手法を発達させることが出来たのでしょうか?

一つ考えられることは、藤井二冠は教科の中では美術が最も不得意だそうです。つまり図形認識・脳内画像処理が苦手だったから、逆に記号的、論理的操作に脳内細胞が特化された!可能性はあります、かねぇ?

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