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はじまりとしての法隆寺

 大阪に住んでいてよかったと思うことのひとつは、古都が近くにあることだ。
 京都が太陽だとしたら、奈良は月と思う。はなやかさやにぎわいという点では京都にかなわないけれど、奈良には心に凜とひびく凄味のようなものが潜んでいて、歳を重ねるごとに奈良に惹かれる自分がいる。
 おおきな仕事、はじめて挑戦する仕事が動きだすまえ、わたしは決まって法隆寺を訪れる。30歳の後半に訪れ、以後、40代に1度、50代に1度、そして60歳になろうとする前に訪れることになった。
 法隆寺は飛鳥時代の建造物。火災にあったり、改修されたりしているけれどその時代の木と技がまだ残っている。中門の柱は樹齢千年以上のヒノキを使い、1本の木を四つ割りにしたものという。つまり2千5百年前に芽をだした木ということになる。その木がいまだに現役で、きっちりと仕事をしているのだ。聖武天皇の時代、国分寺が全国に建てられたけれどひとつとして残っていない。その違いを宮大工棟梁の西岡常一は『木に学べ』のなかで書いている。
 木には1本1本クセがある。そのクセを見抜いて、右に向かおうとする木と左に向かおうとする木をうまく抱き合わせることで芯が生まれ、何百年何千年もつ建物になるという。法隆寺の大工には木や飛鳥の風土を見極める目があって、それに応える技と志気があった。
 人にもそれぞれクセがある。上からの命令で型に嵌めるのは簡単だけど、それでは見栄えやカタチだけのものしかできあがらない。いいところは活かし、悪しき部分は補うところから芯のある仕事が動きだす。
 場数を踏むと自分の流儀やスタイルを押し出しがちになる。初々しさと素直さ、新人の謙虚さと変わる歓びを忘れがちになる。だからこそそれを戒める心がけは、歳を重ね、立場があがっていくとともに必要になるのではないだろうか。
 法隆寺は仕事の基本を現代に伝える建築物だ。おおきな仕事、はじめての仕事へ挑むときほど、あたりまえのこと、基本となることが大切になる。法隆寺で仕事の基本を学びたい。