偶偶。

作業机の棚の上には、ラムネ瓶がある。その中にはエー玉がひとつ。年季を感じるのは当然、彼は小学生2年生の夏からこの瓶は「神棚」に置かれているらしい。

「あの夏のことは、なぜか鮮明に憶えています。なにか特別なことがあった訳ではありませんが、毎日がロビンソン・クルーソーのような冒険でした。この瓶は、従姉妹と夏祭りに行った時のものです」

彼は神棚に手を合わせてから、ラムネ瓶に長い指でそっと撫でた。

「エー玉のカランコロンという音に、すっかり魅了されました。親はちんけな瓶を大事にする私に呆れていましたが、それは私にとって好都合でした。それからは、ことある事にカランコロン。学校に行く前、ねむる前、大切な試合の前……気づけばすっかり私のルーチンになっていました」

彼の微笑みは、私にある種の信仰心を思わせた。彼にとって、エー玉は勾玉であり、その音色は神様との交信なのだ。しかし、どのような形であろうとも、人が生きていくには信仰心というものが必要だと思う。彼は、偶然の神様と邂逅したのだ。偶偶に、感謝。

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