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ハラスメントを「お前」が語るな

昨年末にバズっていたこちらの記事を今更ながら読みました。

噂にはよく聞く忘年会ハラスメントの話の一種かと思いましたが、思っていた以上に根深く苦しい体験を綴られていました。賛否両論あるらしいですが、批判をする人の考え方が正直分からないですね。

僕のFB上の知り合いがこの記事をシェアした上で、「被害者だと叫ぶ」ことで共感を集めて変な成功体験を得るのはどうなのか、退職を考えるほどのキツさなのかと書いており、衝撃を受けました。どんな人であろうとこの価値観は時代遅れであり、そのような発言が出てくるのは残念で仕方ありません。

特に上の世代からだとは思いますが、色々な批判的な意見を耳にします。

・今の時代はハラスメントの線引きが分からない
・社会では普通にあることだから我慢するべき
・何でも擁護する時代の流れがよくない

しかしここで言いたいのは、ハラスメントは全世界的な問題です。そして世界的に、ロジックを超えた正義が認められつつあると思っています。

ロジックを超えた正義とは何か。
それは、ハラスメントである/ハラスメントではない、世間ではよくあることだからハラスメントというのはおかしい、こんな事でハラスメントと言うのは社会不適合者であるなどといった、統一された尺度で要求される線引きを超越する考えです。

様々なロジックを超えて、本人がハラスメントであると感じた瞬間、それは誰がどう言おうとハラスメント。周りの尺度で決められることではなく、本人はそれを批判されずに主張する正義が存在すると思います。

僕の知り合いを含め、自己の価値観の押し付けが日本では特に多いと感じます。環境によっては正しく処理される場合もありますがレアケースでしょう。外資系企業に勤めていた際、日系だと人事に相手にされなさそうな出来事でハラスメントを理由に解雇された人たちを見てきました。

出来事の大きさとハラスメントか否かは比例しません。他の人にとっては些細な事であっても本人にとってはすごく不快かもしれません。人種や年齢の違いだけでなく多種多様な価値が混在するこの時代、主体的な意見がより力を持つべきではないでしょうか。

どんべい

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