資格をどう「活用」するかは自分で決めていい
今日、また1つ資格を取得した。
まあ仕事の関係で取らざるを得なかっただけだが。
私は比較的資格試験の勉強が好きな人間で、これまで興味のある資格をいくつか取得してきたが、
せっかくなので資格に対して思うところを書いてみる。
私が資格勉強を好きな理由
これまで勉強して取得してきた資格は、日商簿記・ファイナンシャルプランナー・ビジネス著作権検定などがある。
私が資格試験の勉強をする理由は、たぶん他の人とはちょっと違う。
私は資格を取得することそのものやその後の活用よりも、どちらかというと取得するまでのプロセスにワクワクする。
新しい知識や価値観に出会う刺激や、それによって世界が広がっていく感覚が好きな私は、
「資格取得」や「検定合格」という大義名分をモチベーションの起爆剤にしつつ、新しい知識や情報を得る/新しい世界を知る/視野を広げることを、一番の魅力に感じている気がする。
もちろん資格取得とその後の展開にも関心はあることにはあるが、
一番楽しいのは新しいことを学び吸収する過程であり、おそらくそこが自分の中で第一目的になっているのだ。
資格を「活用する」とは?
一方で、資格制度の本来の目的は、資格取得・活用を通じた専門性の向上とキャリアアップ、業界への寄与といったところだろう。
資格を取得後、その資格を仕事で生かしながら活躍する、あるいは転職や開業をするのは王道のパターンであり、喜びも大きい。
効率的だとも思う。
一般に資格を「活用する」とは上記のようなことを言うのかもしれない。
だが、先に挙げた例はあくまでも資格活用パターンの一例にすぎない。
資格制度の本来の目的や王道の活用パターンはそれはそれで素晴らしいし尊重するが、
一個人レベルではもっと柔軟な使い方をしてもいいのではないだろうか?
すぐに仕事で使わ(使え)なかった、ステップアップに繋がらなかったからといって、
その勉強や資格取得が無駄だったと決めつけるのは大変もったいないと私は感じる。
過去記事でもちらっと書いたが、それこそ「短期的」で「直接的」な成果ばかりを求めがちな、現代人の病理がそこに顕れている。
取得した資格に縛られていては本末転倒
例えば、資格マニアだったり就活でアピールするだけのために資格を取るような人もいるだろう。
でも、自分に自信をつけるためや、あるいは他人に対しての一時的な優位性を保つための手段にしたとしても、それはそれでアリなんじゃなかろうかと思う。
よく考えてみよう。
「自分の可能性を広げるために資格をとろう」
と言うではないか。
そう。
資格は、可能性や世界や喜びや選択肢を ‘広げて’ なんぼである。
自分の可能性や世界を広げるための資格だったのに、
気づいたらその資格に考えを縛られたり呪いとなってしまっているなんて、本末転倒以外の何物でもない。
資格が関わる仕事をするかどうか、資格をどう活用するのかは、本人が自分自身のために決めればいいのである。
よくあるところで言うと、看護師や保育士、介護士、教員の資格は持っているけれど、直接そういった仕事をしていない人なんてごまんといる。
とはいえ、例えば難関と言われる行政書士や弁護士、医師、公認会計士等の資格を持っていたりすると、資格の力(裏返せば呪縛ともいえる)もそれだけ強いので悩ましいところではあるかもしれない。
それでも言えるのは、「もったいない」にがんじがらめにされるほどもったいないことはない、ということ。
最後は自分で決めればよい、選べばよい。自分の選択に自信を持つ。
自分にとっての、自分自身のための、「活用」をしていきたい。
'21/10/29 最終更新
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