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学校行事の強制参加と日系企業のパワハラ体質

小学校の頃、よく先生から「みんなと仲良くしなさい」「学校行事を始め何事も一生懸命取り組みなさい」と言われました。

学校行事は一部を除いて嫌いではありませんでしたが、なぜ嫌いな行事にも積極的に参加しなければならず、そしてみんなと仲良くしなければならないのか?がよく分かりませんでした。

当時、先生方からは「大人になれば分かる」などと言われていましたが、この年齢になっても一向に理由が分からないのでインターネットで調べてみたところ、Yahoo知恵袋などで「なぜ学校行事は強制なのか」と質問をしている人がいて
・社会に出たら嫌いな人とでも関わらなければならないから
・社会に出たら嫌なことがたくさんあるんだから、我慢をすることを覚えなければならない
などという回答が並んでいました。

学校行事の強制参加について - 体育祭や合唱コンクールなどの参加は... - Yahoo!知恵袋

上記のQAについて、先生のことを教師と呼ぶのは間違っていると思いますが、「なぜ学校行事が強制参加なのか」という質問に関しては回答の方に違和感があります。

回答1:学校行事も授業の一環

上記のQAの中に、授業だけでなく部活も行事も全て「授業の一環」だという回答があります。

授業時間中の活動であれば分かるのですが、「授業の一環」という名目で放課後や休日まで学校行事の準備をしなければならない場合があり、とても理不尽に思いました。

この考え方は「飲み会も業務の一環」という日本企業の考え方に通じるものがあるように思います。

以前勤めていた会社で「部署の飲み会も業務の一環」などと主張する人がいました。本当に「業務の一環」なのであれば飲み会費用の全額会社負担はもちろん飲み会の時間分だけ残業代を支払うべきなのですが、残業代も出ず参加費用は自腹でした。

残業代も参加費用も出ないということは自由参加のはずなのですが、だからと言って参加しないと「コミュニケーションの円滑化に飲み会は重要だ(要は「空気読め」)」などと訳の分からない説教をされます。

時には「飲み会への参加を嫌がる人は成長意欲がない」などと言われることもあります。もちろん、飲み会へ行って親睦が深まり、業務にプラスになることもあるとは思います。

しかし、どこまで成長したいのかは本人の自由意思によるべきで、「飲み会へ行ってまで成長したいとは思わない」という考えもあると思います。

給与を頂いている限り仕事を放棄したら債務不履行という話になりますが、仕事をきちんとしている限り「飲み会への参加を嫌がるような成長意欲の低い姿勢は道徳的に問題だ」などと言われる筋合いはないのではないかと思います。

「業務にとって重要なら業務の一環として正式に業務命令をして残業代も払うべきでは?」と言うと「屁理屈を言うな」などと怒られます。

私は「屁理屈を言うな」とか「それは言葉遊びだ」などと言って問題を隠ぺいする人が本当に嫌いなのですが、いずれにしても「業務内なのか、業務外なのか」という線引きは極めて重要で、ここが曖昧になると業務外でも無限に上司の指示を受けなければならなず、パワハラを誘発する可能性もあります。

業務の線引きとパワハラにはとても強い関係があります。厚生労働省によるパワハラとは、下記のように定義されています。

職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいいます。

パワハラの定義|パワハラ基本情報|あかるい職場応援団 -職場のパワーハラスメント(パワハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト-

以前パワハラの講習で聞いたことですが、たとえ乱暴な言葉遣いであってもそれが業務の適正な範囲であればパワハラにはならないそうです。

例えば、鉄道会社の運転手は乗客の命を預かっているので、安全確認については徹底的に体で叩き込む必要があり、上司が「ちゃんと声を出せ!ボケっとすんな!」と大声で怒鳴っても「業務上の適正な範囲」としてパワハラにはならないとのことです。

つまり、どこまでが業務の適正な範囲内で、どこからが範囲外なのかを明確に線引きしておかなければなりません。

「従業員からパワハラで訴えられないようにするためには、企業として何が業務上適正な指導なのかを明記しておくのが理想」などと講演していました。

授業だけでなく部活も行事も、その練習も含めて全て「授業の一環」だという考え方は、どこまでが授業でどこから授業ではないのかという線引きを曖昧にします。

そして「授業である限りは生徒は従わなければならない」という前提があるとすると、生徒は制限なく何でもかんでも参加を強制されることになります。

そして、そのように線引きを曖昧にすることに慣れてしまうと、「自分の時間を大切にする(簡単に人に支配させない)」とか「自分のやりたいことを自分で決断する」といったことができなくなり、パワハラと戦う力を奪ってしまうのではないでしょうか。

しかもこの「授業」というのがとても厄介です。仕事であれば「給料をもらってるんだから義務を果たさなければならない」という理屈で納得できます。

しかし学校の授業というのは給料をもらっているわけではなく、それでいて社会的には義務と決まっていて(但し憲法上は子どもが学校へ行く義務はありませんが)、しかも「教育を受けられることは有難いことなんだから感謝しろ」とまで言われることもあります。

学校の授業というのは好き嫌い関係なく強制されますが、どこまでが義務でどこからが任意なのかは明確に線引きされるべきではないかと思います。 

回答2:社会に出たら嫌なことがたくさんあるから、嫌なことに慣れるべき

この回答があまりにも多いので驚愕しました。確かに、社会に出てから嫌なことはたくさんあります。私も仕事をしていてもちろん嫌なことが色々あります。

しかし、社会に出てからの嫌なことというのは「生活のため」とか「給料のため」と割り切れるところはあります。また、そもそも「自分が本当にやりたいことのために必要だ」と納得できればまだ嫌なことでも割り切りができるのではないでしょうか。

私の場合、インドに来て面倒臭い手続や嫌いなことは山ほどありますが、「海外で異文化に触れる」ということ自体が自分のやりたいことなので、その過程で嫌なことがあっても前向きに取り組むことができます。

一方、義務教育時代の嫌なことというのは何のためにやっているのかが本当に分かりませんでした。大人になってから履歴書に書くのは「〇〇高校卒業」「〇〇大学卒業」ということだけで、運動会の練習をサボったところでそんな記録はどこにも残りません。

大学に入ると、「単位さえ取れれば卒業できるから、必要単位を超える部分については特に頑張らなくて良い」という明確な線引きがあるのでまだマシですが、小中学校については「卒業に必要」という明確なモチベーションもなく、「とにかく頑張れ」とだけ言われます。

社会に出てから、ここまで納得感のない努力を強要される状況というのはあまりないのではないでしょうか?

また、社会人の場合はどうしても耐えられなければ転職という選択肢があります。一方小学生は簡単に転校することができません。住む場所についても親の仕事の都合に依存するので、好きな小学校へ入学してそこへ引っ越すという選択肢はありません。

ひょっとしたら、ある会社や役所に入って全くスキルがつかないまま何十年も在籍してしまうと小学生と同様の「逃げ出せない」環境になってしまうかも知れませんが、少なくとも「給料のため」という納得感はありますし、そもそもそういうキャリアを進むかどうかは自分で選ぶことができます。

「社会に出たら嫌なことばかりだから、小学生のうちから嫌なことを我慢する習慣をつけるべき」というのは一理あるかも知れませんが、逆に社会に出たら「やりたくないことは全力で避けて、自分の好きなことや得意なことに集中すべき」という考え方もあります。

私は、小さい頃からやりたくないことを我慢して頑張る習慣が身につくと、逆に自分が本当にやりたいことや好きなことが分からなくなってしまうのではないかと考えています。

やりたいことを見つけるというのは大変なことだからこそ、子ども達には「嫌いなことを我慢して頑張る習慣を身につけなさい」ではなく「本気で打ち込めることを見つけるのは大変なことだから、自分が好きなことは何かを真剣に考えてください」と伝えたいですね。

回答3:社会に出たら嫌いな人とも付き合わなければならないから、学校教育を通じて協調性を身につけるべき

社会人になったら、嫌いな人とプライベートで関わる必要はありません。 嫌いな友人との関係は全員切ることができますし、極端なことを言えば親戚や親との関係も切ろうと思えばできます。近所付き合いが嫌なら引っ越しをする自由もあります。

仕事では確かに嫌いな人とも付き合わなければならないですし、チームワークも必要になります。しかし、仕事での人間関係というのはまず「これをやりたい」というのが先にあって、そのために人を集めて協力するという順序ではないでしょうか。

職場での人間関係には利害関係があるので、必要とされる人であれば相手もあまり酷いことはできないはずです。もし職場で理不尽なことをされるのであれば転職を検討する自由がありますし、どうすれば転職市場で価値が出せるかを研究することもできます。

このように整理していくと、社会に出てから本当に嫌いな人と付き合わなければならない必要性ってそこまでないんじゃないかな?と思います。学校の人間関係というのは仕事と違って利害関係もないですし、逃げ出すのも難しいです。

嫌いな人と無理して付き合うことに慣れてしまうと、「本当に信頼できる人を見つける力(人を見抜く力)」が鈍ってしまうのではないかと思います。

では小さいことから学校行事を強制することは全くの無駄かというと、難しいところです。小さいうちに様々な経験をすることで、「これが好き」「これは嫌い」というのを体感し、何が自分に向いているのかを判断することができるという意味では良いかも知れません。

ただ、その体験をしたいかどうかはやはり子どもに任せられるべきで、子どもが本当に嫌がっていることは強制するべきではないのではないかと思います。

キャリア構築の基本は「得意なこと、興味のあることを伸ばしていくこと」だと思うので、小さいうちから苦手なことや嫌いなことを強制するのは「私も苦しんできたんだから、あなたも苦しみなさい」としか聞こえません。

得意なことを見つけることの大切さについてはブログでより詳しく書いていますので、良ければ下記ブログをご覧ください。

自分の得意なことを見つけるための3つの方法



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大学卒業後、中国出身の妻と結婚して日本で約8年間働くも、日本での生活が息苦しくなりインドへ移住しました。海外就職やインド生活、インドで変化した人生観などについて発信しています。 ブログでも発信してます→https://asianlifeblog.com/
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