なぜ??味はいいけど美味しくない焼き鳥。
先日、二人で焼き鳥を食べに行きました。そのお店は○○グループのお店の1つ。
僕たちはカウンターで食事をしました。
そのお店はショーケースの中に串が並べてあり、オープンキッチンで炭火で焼いているところ、作っているところが丸見えです。
当然料理を待っている時、作っている人を僕たちは意識します。
作っているところを見れるのはいいところ、それを楽しむ人もいます。料理が好きな人はワクワクしますよね!
僕は焼き鳥を焼いているお姉さんに目がいきました。なぜか???
お姉さんの表情がとても暗く、楽しんでいる様子がこれっぽっちもなかったんです。
味はよかったんですが、なぜか美味しく感じなかったんです。
そのことが頭の中に残っていました。
数日後、ある本の中で出会った一文を読んで、僕はそのモヤモヤを解決できたと同時に、自分の意識も変えてくれました。
チェロの演奏者の方のお話です。とても演奏が上手く、その場のお客さんをとりこにしてしまう演奏だったようです。そこで、本の著者はその演奏者に「演奏がうまいだけではなく、表情を巧みに変えたりして表現力が豊かですね」と話かけたところ。
そのチェロの演奏者は本の著者にこういったんです。
「僕はチェロを演奏しているんじゃない。チェロで僕自信を表現しているだけ。チェロは道具に過ぎないからね」
チェロは道具で主役は自分。だからチェロの演奏者でもないといいますし、お客さんは自分のチェロの演奏ではなく、僕の表現を聴いてくれている。
その文を読んだ時。点と点が繋がりました。
主役は人なんだと。
美味しい料理も大事けどそれは道具であるということ。
どんなに美味しい料理でも。
誰がどんな風に作るのかで感じ方が変わってくるということ。
これは飲食業以外でも通じる物だと思っています。
どんなにいい指導だとしても、それが機械だったら?
どんなにいいプレゼンでも、それが機械だったら?
どんなにうまい演奏でも、それが機械だったら?
どんなにうまいお寿司でもそれが、機械だったら?
どんなに綺麗なデザインをしてても、それが機械だったら?
全て人が主役。
主役は自分自身。
心があれば、それは伝わる。
そして人はやはり人をみているということ。
美しいだけではなく。味のある人
美味しい人になりたい。
ARIGATO!
SOLEIL LIFE 太陽のように誰かを照らせる人に。向日葵のようにまっすぐいきよう。
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