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㊺ミャンマー情勢(Gen ZがJTCを目指さない理由が判明@ミャンマー)

Damn Shit, JTC(JTCクソ食らえ)

ミャンマーにおいて「Generation Z(Z世代)がJapanese Traditional Company(JTC)を目指さない理由」が判明しました!!!

私は、最近、Z世代の理解のために、

●「Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち」舟津昌平
●「ゆるい職場-若者の不安の知られざる理由」古屋星斗

などを読みました。

また、頻繁にミャンマー国内の若い経営者やベンチャー企業で働く日本人と交流しています。

そこで、ようやく、日本の伝統的な大企業(JTC)のやばさに気づいてきました。

最近では、日本の大企業も本社では、東証のPBR改革に奔走して、資本効率を高めていますが、海外の支店の状況は、とても厳しい状況にあります。


なぜ、JTCはやばいのか?(実体験)

私は、各種記事にて、ミャンマーの絶望的なやばさについて、レポートしています。具体的には、以下の記事の内容です。

この内容は、JTCのミャンマー支店トップ(支店長)にも提供しています。

しかし、この内容が、ミャンマー支店から、日本の本社に正確に伝わることはありません。歪曲(デフォルメ)された内容が伝わります

私(ミャンマーの絶望的なやばさ)→JTCミャンマー支店トップ(歪曲された内容:少し待てば経済が好転するストーリー)→JTC東京本社

何十社と接していて、徐々に理由がわかってきました。

以下、自分が所属する組織のことは、ひとまず棚に上げます。非常にセコイ小役人的な態度ですが、ご容赦下さい。


JTCのミャンマー支店→本社に歪曲内容が伝わる理由

いまの多くのJTCのミャンマーの支店長は、定年退職間際の人たちです。大企業の海外支店長というのは、最後の花道を飾るポストです。

そのため、如何にミャンマーの状況が悪化しようとも、(自分も社員もこの場から離れた方が良いと)自分の存在価値(レゾンデートル)の否定はできません

ビジネス継続の見通しが困難になる可能性が大きく、それが近々くると予想できていたとしても、昭和のファイトいっぱ〜つの気合でなんとか、特攻隊張りの自爆テロを辞さない覚悟を持ち、自分の存在価値を守ろうとします。

そうすると、現地で起きていること、起こりつつあること、これから起きるであろうこと、を大いに歪曲します。今後、好転の兆しがある、回復の兆しがあるという楽観的なストーリーを、本社に報告します。

ミャンマーは、なかなか厳しい状況ですが、踏ん張りどころです。数年経過すれば、好転する可能性がありますので、このままの調子でビジネスを継続したいと思います♪」という形で本社に報告がいきます。

あれ、何かと似ている気がしませんか?



現代のインパール作戦

戦時中の日本と一緒です。

たとえボロボロの敗戦であったとしても、大本営(東京)には、「一生懸命なんとか頑張っている、ここで耐えれば戦局は好転する!」と報告するわけです。

海外にいた帝国陸軍は、陸軍という大きな官僚制組織のなかでは、大本営からのグリップが効かない場所です。戦局もどうなっているか分かりません。

そのため、歪曲した内容を伝え放題になります。

気がつけば、インパール作戦(1944年、英国が支配していたインド北東部の攻略を目指して旧日本軍が進軍し、激しい戦闘や食料不足により、インド国内だけで3万人に上る日本兵が亡くなった戦い)のように、大敗北を期すことになります。

大本営も現場で何が起きているか知らなかったので、驚きました( ;∀;)


帝国陸軍の海外支部とJTCの海外支局の違い

戦争とビジネスを比較するのは難しいのですが、ミャンマーが危険な状態になりつつあるなかで、支店長が自分の存在価値を守ろうとするのは、仕方がありません。

自分のビジネスに対する責任感があることの証左だとも言えます。

しかし、JTCの問題は、支店長の下に多くの部下を抱える企業が存在することです。

危険な状態が刻一刻と近づいている場合は、ビジネス・オペレーションは、最小限の日本人で行うのが、”良き支店長の姿”と言えるでしょう。

しかし、そうならず、多くの日本人部下を抱えているJTC支店もあります。

なぜでしょうか?


多くの日本人を抱えるJTCのミャンマー支店

それは、ミャンマーがコスパが良い国だからです。

日本食にも事欠かず値段も安い、その上、危険地手当などの海外赴任手当も多く貰えてします収入は増えて支出は減って、QoL(Quality of Life)がかなり高くなるためです。

そのため、危機が目前まで訪れているものの、自分の目で目視できる範囲内でなければ、大丈夫だろうというサラリーマン的楽観主義が生まれます。

危険地にいると、そのような精神状況を保ちたくなるのはわかりますが、お国のために戦っている兵隊さんなら、最後まで戦わなければ大和魂が廃るというのはわかります。

しかし、利益重視のビジネスパーソンですから、そこは、もっと合理的になった方がいいのではないでしょうか?!

現実は、いまこの瞬間のミャンマーにおけるJTC内の多くの日本人の存在は、損多くて益少なしです。

現在、自分の給料額以上を、ミャンマー国内ビジネスで稼げているビジネスパーソン@JTCは存在しません( ゚Д゚)



あれれ、それって問題なのでは?!

しかし、JTCは、民間企業で自分で利益を上げているはずだから、たかだか、海外の一拠点から東京に上がってくる事実が多少歪んでいたとしてもいいではないか?

一拠点が全然儲からなくても、他の拠点が儲かっているのだから、利益配分が社内でなされるのだから、いいのではないか?

という指摘もあると思います。

その指摘は、正しいです!!!

あなたが、そのJTCとは無関係の赤の他人であれば、知ったこっちゃないわけです。むしろ、世の中に、そんな緩い判断をしてくれる会社があったら、入社して、ミャンマーで働いて稼ぎたくなるでしょう!

しかし、現実の資本主義社会は、そこまで甘くありません



→株主価値の棄損?

株主価値を棄損しているのではないか?
という問題が浮上します。

正解です。

現地からの届く情報にバイアスがかかっていると、本社では正しい判断ができません。現地のビジネスは、大赤字を出し続けているし、今後も出血大サービスで、大赤字の垂れ流しを続けるのですが、これから上向きますよ、と嘘をつかれると、損切ができなくなります

例えるなら、株価の下降局面なのに、モニターが加工されていて、損失が膨らんでいるのが見えず、先のトレンドとして上昇期待と示されている事態です。これは、架空計上が行われている粉飾決算と同じです。

この株主価値の棄損は、法律の●●罪に抵触する可能性も十分あります。

さて、何罪でしょうか?









Thinking time


















背任罪、成立!!!

現地からの報告によって、本社が騙されている場合でも、現地と本社がグル(共犯)になっている場合でも、株主を騙す行為と言えるため、刑法第247条の背任罪が成立する可能性があります。

(背任)
第二百四十七条 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

自分のコスパの良い生活を守るため、高い給料を守るために、本社に対する誠実義務を怠り、虚偽の内容を伝達することで、本社の適切な損切り判断を遅らせ、損失の計上を長引かせることで、株主価値を棄損する=財産上の損害を加えている、ためです。

あくまでも背任罪の可能性があるという見解です。

それでも、JTCは変わらない!

例えば、ミャンマーでも、ベンチャー企業や家族経営(Family Business)の場合は、規模が小さく、余計な人件費を避けないので、ビジネスに対してシビアです。

そのため、ほとんどは、日本人1人のみ常駐させるか、日本からの出張ベースで経営をしています。

しかし、一部JTCでは、沢山の赤字・人件費垂れ流し社員を抱えています。


JTCはなぜダメか?

改めて、なぜ、危機的なミャンマーの情勢を正しく認識して、ミニマムオペレーションを実行しないJTCが存在するのでしょうか?

第1の理由は、JTCには余裕があるためです。日本でも全世界でも稼いでいるので、良くも悪くも、一部地域で儲からなくても大丈夫なのでしょう。

第2の理由は、大企業病です。「寄らば大樹の陰」病とも言えます。

結局、JTCに入ってから、20年、30年サラリーマンとして生きてくると、主体的な判断や提言ができないのです。

会社が、自分自身のidentityの中心になり過ぎて、会社と共に生きることが目的化されます。

自分=会社になると、自分や部下を削減する後ろ向きであるが実は有益な提言なんてできなくなります。

日本のサラリーマンの情けない姿です、、、(>_<)

本当に、心の底から、情けないです。


それでも、私は悪くない

それでも、そういった1人1人のサラリーマンは、いままで猛烈社員として、会社のために貢献してきたし、時に合理的な判断をしないからといって、責められるものではない!、という意見は十分にわかります。

最近、そういった組織に忠誠を尽くした1人1人のサラリーマンのことを考える機会が増えました。

個人個人と接すると、決して悪くないのです。

そこで、思い出したのがハンナ・アーレントです。

凡庸なJTCの中のサラリーマンは、その凡庸さ故に悪になり得る

ハンナ・アーレントのメッセージは、こういうことなのではないかと、、、


ハンナ・アーレントと『エルサレムのアイヒマン』

ハンナ・アーレントは、1906年にドイツで生まれ、主にアメリカで活躍した政治哲学者です。ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺は、なぜ起きたのか?が研究テーマでした。

彼女は『人間の条件』(1958年)という著作で有名ですが、『エルサレムのアイヒマン』(1963年)はそれ以上に有名です。

 アイヒマンは、ナチス親衛隊の中佐で、ユダヤ人虐殺計画を実務的に管理する立場にあり、特に絶滅収容所への移送を担当していた人物です。
戦後、アルゼンチンに潜伏していた彼をイスラエルのモサド(諜報機関)が見つけて強制連行し、エルサレムで公開裁判が行われました。
 アーレントは自ら出版社に志願し、この裁判を特派員として取材します。しかし、そこで彼女が目の当たりにしたアイヒマンは、多くの人が存在し、期待していた「いかにも悪人」然とした人物ではありませんでした。

「悪と全体主義 ハンナアーレントから考える」(仲正昌樹)

結局、アイヒマンは、「どこかで見かけそうな」「ありふれた」「凡庸な」(英語ではbanal)人間だったわけです。

アイヒマンは、若い頃から「あまり将来の見込みのありそうもない」凡人で、自分で道を拓くというよりも「何かの組織に入ることを好む」タイプ組織内での「自分の昇進にはおそろしく熱心だった」人間でした。



漫画「キングダム」にもあったような?!

アイヒマンのような人間は、私が大好きな「キングダム」という漫画にも主題として登場します!!!

さて、どこに登場するでしょうか???

アイヒマンのような人間に対して、”怒り”を向ける将軍がいます。

ネタバレにならない程度に示します。








Thinking time

















その名は、桓騎(かんき)将軍です。

67巻に名シーンが登場します。

キングダムの桓騎(かんき)将軍の発想も、日本のサラリーマンに当てはめると、ハンナ・アーレントの分析と同じです。


凡庸なJTCの中のサラリーマンは、その凡庸さ故に悪になり得る



JTCのサラリーマンの特徴

JTCは、寄らば大樹の陰です。

でも、そんなJTCが、世界の主流であるはずがありません

どんな相手でも会った矢先に、何よりも先に、名刺(ビジネスカード)を渡すことは、所属する企業=自分のidentityであったJTCサラリーマンの立派な証です。

JTCサラリーマンは、どこの所属に属しているか>何の仕事をしているか、ということなのです。

Gen Zの一部からすると、理解できない感覚だと思います。

この日本人の傾向は、昔から社会学や文化人類学の分析の対象でした。


「タテ社会の人間関係」(中根 千枝)

一例として、「タテ社会の人間関係」の記載を見たいと思います。

職種よりも会社名
 日本人が外に向かって(他人に対して)自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S社の者ということである。また他人がより知りたいことも、A社、S社ということがまず第一であり、それから記者であるか、印刷工であるか、またエンジニアであるか、事務員であるか、ということである。
(中略)
 ここで、はっきりいえることは、、すなわち会社とか大学とかいう枠が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっているということであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくるということである。
 この集団認識のあり方は、日本人が自分の属する職場、会社とか官庁、学校などを「ウチの」、相手のそれを「オタクの」などという表現を使うことにもあらわれている。
 この表現に象徴されるように、「会社」は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。
 A社は株主のものではなく、われわれのものという論法がここにあるのである。この強い素朴な論法の前には、いかなる近代法といえでも現実に譲歩せざるをえないという、きわめて日本的な文化的特殊性がみられる。

「タテ社会の人間関係」(中根 千枝)P29~31

中根氏が述べたのは、1967年であり、2020年代なると徐々に、Globalな価値観が当たり前になり、自分主体(=個人も持つ資格)で働くケースが増加傾向にあるが、一部のJTCには、まだ、会社を前面に出し、会社との関係で自分を規定する1960年代の雰囲気が出てしまっています、、、


日本人も子供の時は将来の夢は、「宇宙飛行士」、「ケーキ屋さんでケーキ作り」だったはずです。

「どこで働きたいか?」ではなく、「何に成りたいのか?」を子供の時から思い描いてきたはずです。

最初は、「何かに成りたい」という気概を持って会社に入ったのに、20~30年すると、大事な本質を忘れてしまうJTCサラリーマンが多いのでしょう!

そういう人たちに、優しい人は「社会の犠牲者だ!」と労いの声をかけます。

成田悠輔氏のような厳しい人は、「JTCサラリーマンには一旦集団自決してもらって、退場してもらった方が良い」と断言するでしょう。


そうか!!!

今更ながら、私、桐島は、そういう組織に従順なサラリーマン体質の人間が大っ嫌いだったのです。

だから、

自分の所属する組織にいつ首を切られてもいいように、資格取得をしてみたり、自分のキャリアパスについて常に意識的だったのです。

意外と、私の考えは、Gen Z的だったのかもしれません、、、

本題に戻ると、この度、私はミャンマーにいて、
日本の伝統的な大企業(JTC)のやばさに気づきました。

今後は、背任罪に問われる危険性のありそうなJTCに対して、大胆に、直接的にやばさを指摘する桓騎(かんき)将軍的な役割を担いたいと思います。

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