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【オバちゃんの読書感想文】 「智恵子抄」 高村光太郎 著

前回「こころ」を読み、中学時代を思い出した。そこから高村光太郎の詩「レモン哀歌」を思い出した。詩の内容はおぼろげだったが、そのときに私の頭の中に浮かんだレモンのイメージが未だに鮮明に残っている。それは、窓際の真っ白なカーテンと一つのレモン。輪切りでもくし形でもない。もちろんレモン”味”でもない。そして、二つも三つもいらない。一つだけ。そんなイメージだ。

「レモン哀歌」のイメージ(カーテンじゃないけど)

「レモン哀歌」を探し出して読んでみて気がついた。「智恵子抄」は読んでいない。有名だけれども読んでいない。「智恵子抄」は高村光太郎が自分の妻である智恵子に関連する詩を集めた詩集だ。その中に「レモン哀歌」も入っている。

今回は「智恵子抄」を読んでみることにした。

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言葉を味わう経験をした。

私は学生時代の詩の授業でいくつか読んだぐらいで、あまり詩に興味を持ったことがなかった。文学に造詣が深いクラスメイトや芸術センスのある友人が詩をじっくり読む(そして、溜息ついたり、涙を浮かべたり)という姿に一瞬憧れを抱いたものの、詩を読んで感動したという感覚を持つことはできなかった。大人になり、子どもたちが生まれ、韻を踏む言葉遊びやドクター・スースのようなリズムのいい本を読んだりした。韻を踏んだりリズムを大事にする英語の詩に比べて、日本の詩は掴みどころがないと思っていた。

でも、全然違った。

私の精神年齢がやっと「詩・入門」を果たしただけかもしれないけれど、初めて高村光太郎の詩を一つ一つ読んでみた。詩は「ざっと読む」ということができないことに気づいた。目を通して、反芻して、もう1回読んで。言葉の選び方に唸ってみたり、言葉の順番に頷いてみたり。

まず驚いたのが、明治生まれの高村光太郎が大正時代に諸外国の文化を熟知していた様子である。例えば、『或る夜のこころ』(大正元年8月)には「印度更紗の帯」や「拝火教徒の忍黙」という言葉があるし、『冬の朝のめざめ』(大正元年11月)には「ヨルダンの川」「基督に洗礼を施すヨハネのこころ」などがある。『人類の泉』(大正2年3月)では「開路者」という言葉のふりがなに「ピオニエ」と記している。おそらく、Pioneerのことであろうが、わざわざ英語の単語を当てはめている。同じ詩では「ヒユウマニテイ(ヒューマニティ)」という単語も使われている。中でも唸ったのが『狂奔する牛』(大正14年6月)で雲や川の色を表すのに「テル ヴエルト(緑)」や「セルリヤン(青)」という西洋絵画の顔料の色の名称を使ったことであった。

高村光太郎が海外留学を経験したことがある故に外国の言葉や文化に慣れ親しんでいたということはあると思うし、芸術の道に進んだ人であるから西洋文化に触れる機会も他の同時代の人に比べたら多かったのは事実だと思う。しかし、単に知っている、というのではない深みを感じた。というのは、彼の日本語は美しく、日本語を熟知し、駆使した上であえて必要に応じて諸外国の文化で使われている言葉を使っているように見えるからである。例えば、『値あひがたき智恵子』(昭和12年7月)はこの情景・経験を宗教画や中世ヨーロッパの物語などで使われている言葉を使って表すこともできるような気がする。しかし、そのような言葉は一切使わず、日本語を紡いでいる。味わい深い。

彼の詩は何度読んでも、繰り返し繰り返し読んでも毎回、好物の食べ物を最初に口に含んだときに感じるような高揚感を感じられる。

満腹にならないご馳走だ。

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