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私がやっているのは「鑑賞」なのか「消費」なのか?ーミニ読書感想「映画を早送りで観る人たち」(稲田豊史さん)

ライター稲田豊史さんの「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形」(光文社新書)が、ここ最近読んだ本の中で断トツに面白かった。さらに、現代の映画や漫画、小説などの文化と我々受け手の行動に関して考えるために非常に重要な指摘に溢れていた。タイトル通り、なぜ最近、映画を倍速などの早送りで視聴する人がいるのか?この疑問を「鑑賞」「消費」の対比によって解きほぐし、ある種の現代病理に切り込んでいく。


Netflixをはじめ、動画のサブスクリプションサービスには倍速視聴の機能がついている。若者をはじめ、この機能で大量の動画を「観こなす」人は多い。著者は、実際に倍速視聴する若者にインタビューし、その行動の根本にある考え方をあぶり出す。

そして、倍速視聴は「消費」だと突き止める。動画の内容を効率よく消化し、いち早く理解する。そのために、たとえばセリフのない場所は飛ばす。連続ドラマならば、真ん中ら辺の回をまるまるスキップする。

しかし、本来、2時間の映画なら2時間の視聴を前提に作り手は工夫を凝らしている。著者は「10秒の沈黙には15秒でも5秒でもない理由がある」との趣旨の指摘をしているが、それは確かにそうだろう。その意味で、動画を「消費」する人は作品の細部を見落としている。

つまり、「消費」する人は「鑑賞」していない。

なぜ「消費」が拡大しているか?著者はここで、「タイムパフォーマンス(タイパ)」という概念を引っ張り出す。ある費用に対する効果を重視する「コストパフォーマンス」と同様、タイパを考える人は「この作品は時間をかけるに値するか」を検討する。動画を「鑑賞」するのはタイパが悪いのだ。

ここまでの整理が明快なことに、頭をガーンと打たれる思いがするわけだが、本書はまだ終わらない。ではなぜ、タイパを重視しなくてはならないのか?

それは、さまざまな作品が爆発的と言ってほど増える中で、SNSを通じて24時間つながる仲間と「話題を合わせなくてはならないから」だという。つまり、人間関係の維持のためにタイパが求められる。

倍速視聴という現象を追いかけると、過密化する人間関係の中でもがく人の姿が見えてきた。この追求のお手並、見事と言うほかない。

ここまで紹介すると「著者は倍速視聴が悪いと言いたいのだな」と早合点しがちだが、「そうではない」。ではどうなのかというのは、このエントリーではネタバレしない。なぜならここでネタバレする振る舞いもまた、タイパ重視の「消費」的なものだからだ。

言えることは、本書の訴えは順を立てて論を追い、しかも最後の最後まで読まないと掴めない。つまり「消費」ではなくて「鑑賞」しないと味わえない。この点、憎らしい演出だなと感じた。

本書は、作品を巡る「消費」と「娯楽」という二つの態度に関して、その関係、その在り方を議論するための土台を提供する役割を果たしている。

最後に、両者の在り方はどうあるべきかを考えたい。

筆者は序盤で、業界に記事を書くためにやむを得ない理由で倍速視聴したDVD作品を、あとからじっくり見直したら全く違うものに感じた自身の体験を披露する。

つまり、「消費」と「鑑賞」は必ずしも断絶していないと言える。私たちは確かに多くの作品を「消費」しているが、それはその作品を「鑑賞しない」と決めているわけでは、必ずしもない。

私は最近さまざまな事情で短い空き時間でこうした読書感想エントリーを書いていて、正直、じっくりした考察や正確な引用もない実に「消費」的なブログになっている。それでも書き残したいのは、自分にとって大切に思えた作品をきちんと記録し、いつかまた、ちゃんと読み直す可能性を潰さずにおきたいからだ。

「消費」は、わずかであっても「鑑賞」の芽だと考えてみる。「鑑賞」に至る道を開いた「消費」は、可能性がほのかに残るものと言えないだろうか。

そのためには、自分のやっていることが「消費」だと自覚的になる必要がある。このように、「開かれた消費」を目指しきたいと思うのだ。

本書は社会の在り方を、そして自分自身の作品への向かい方を考えさせてくれる、大切な一冊になった。

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