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あるドキュメンタリー映画 被ばく労働者に対するスティグマ

 震災・原発事故の翌月、水俣市長が緊急メッセージを発した。水俣病によって〈偏見や差別を受け、物が売れない、人が来ないなどの影響を受けたり、就職を断られる、婚約が解消されるなどの影響を受けたこともあります〉と述べ、〈放射線は確かに怖いものです。しかし、事実に基づかない偏見差別、非難中傷は、人としてもっと怖く悲しい行動です〉と訴えたものだ。地元内の軋轢を経験したであろう首長だからこそ、説得力のある内容だった。
 震災から2年後、原発事故による“健康被害”を取り上げた、あるドキュメンタリー映画の完成前の試写を見た。映画では、20代の男性除染作業員に「遺伝(による子どもの障害)の心配はありませんか」と、監督が尋ねる場面があった。労働者は防護マスクを付けたまま「心配です」と答えた。
 唖然とした。眼前に、自らの健康と安全に気遣いながら働いている人がいるのに、まだ生まれてもいない子どもの障害を云々して不安を煽っていたのだから。
 試写後、監督に尋ねた。「広島・長崎では原爆による放射線の影響が子々孫々に遺伝すると信じられ、差別され続けた。この映画でも子どもに遺伝的障害が出てくるかのように描くのは被曝を理由にした差別を拡大するのではないか」と。疫学的には、原爆による遺伝的影響はほぼ認められないというのが定説だ。
 だが、監督は「将来、障害が現われて悔やむより、いま遺伝の問題を訴え、将来何でもなかったということになるのなら、そのほうがいい」と答えた。同席していた上映運動の支援者でもある弁護士は「水俣病を発症した患者は差別されながらも国を訴えて勝っている」と話をずらした。
 発症を前提にした言説には、倫理的な問題があるのではないか。そんな違和感を覚えた。除染・収束作業に携わった人々に対する「放射能が感染るから近づくな、結婚するな」という悪罵と、一体どう異なるのだろうか。彼らは障害者差別、被曝労働者差別に、無頓着のようにさえ思えた。
 折しも県の妊産婦調査では2011年度も17年度も、先天奇形などが全国平均と変わらず、20年度で調査を終了方向というニュースに接した。監督らは「何でもなかった」と喜ぶのだろうか、それとも結論を出すのはまだ早いと言うのだろうか。
(福島民友「みんゆう随想」第4回「あるドキュメンタリー映画」2019年8月24日付を一部改稿。写真は2014年、多摩市で開かれた福島菊次郎展に掲げられていたパネル)

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