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密教的なもの①

昨日に続き今日も急遽書いたものです。ネットでの記事は不特定多数の目に留まる可能性があるため、原則として特定団体や個人を名指しで批判はしないようにしているのですが、今回は私としても色々と言いたいことが出てきてしまい、書くことにしました。まぁ世界一と言ってもいいほどのビッグネームなので、私のような辺境の素人の戯言なんてどうでもないでしょう。

書きたいのはダライ・ラマと密教についてです。と言っても大したことは知らないので「個人の感想ですよね」レベルです。

元々私はダライ・ラマを信用していませんでした。理由は単純でオウム真理教の教祖と何度も写真をとり、彼を認めるような発言をしていたからです。もちろん彼の腹の内は分かりません。多額の寄付をくれる辺境の支援者の一人くらいの認識だったのかもしれません。

しかし彼が実際に何らかの神秘的な力を持っていて、常人には見えない真実を観ぬき、某教祖に否定的な態度で接していたらどうだったか。少なくともそれで冷静になれた信者は少しはいたのではないかと思います。

もっとも、これは彼を超人的にとり扱った視点からの批判であって、常人と差して変わらない人間であったのであれば、まったく見当はずれの批判と言えます。人間に対して過度に期待してはいけない例として、語り継いでほしい話ではありますが、結果論で責めてもあまり生産的でないので、彼個人に対する話はこれで終わりにします。

少しだけチベット仏教について基本的な話をすると、ダライ・ラマはチベット最大教派ゲルク派のNo.2で、インドに作られた亡命政府の元首です。つまりチベットにとって宗教的な指導者であるとともに政治家のトップでもあるのです。

ゲルク派以外には他に3派あり、ニンマ派、カギュ派、サキャ派というそれぞれ特色を持った宗派がありますが、私はそれぞれについて語れるほど詳しくありません。

チベット仏教には中観思想を中心とした厳密な教学体系を持った「顕教」の部分と、インド密教を後期に至るまで忠実に継承し独自の文化の中で発展させた「密教」の部分があります。しかもそれらが今も現に生きた教えとして継承され続けています。一昔前の人たちに言わせれば、今の修行者は「ぬるい」らしいですが、それでも現代日本人からすると想像を絶するような厳しい環境で教学も実践も身につけています。

そのような修行者の姿勢には素直に畏敬の念がありますし、周辺の文化は素晴らしく人類が残すべき最重要な遺産だとさえ思います。

実は私の部屋には曼荼羅が飾ってあります。昔父が買ってくれたものですが、店の人曰く現世のダライ・ラマがデザインしたものだそうです。

チベットの曼荼羅(構図が下手ですみません)

気になった方はこちらで買えたりしますhttps://www.munguntibet.com/

このお店のご主人はチベット出身で、チベット寺院で僧侶としての修行経験もある方です。値段はめちゃくちゃ良心的です(場所によってはこの店の2倍3倍で売ってるところもあります)鎌倉にいらっしゃった際にはぜひ寄ってあげてください。体が大きくて初めは怖いかもしれないですが、気のいいおじさんです。

と、なんとなくおじさんに教えてもらったことを思い出したらダライ・ラマのことはどうでも良くなってしまいました。

ネットなどで言説が先鋭化するのは、観念のみで完結しているからで、リアルな人の顔が思い浮かぶと、それほど鋭い言葉で批判できないものです。ダライ・ラマ法王のこと悪く言ってごめんよ、おじさん。

今日は、この辺で。密教については次回書いてみたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。


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