間接的に人を殺す

 高校生だった頃、授業をサボタージュした。
なんだかとても居なくなりたかったのだ。
機会があれば自身に掻き消されそうになる自分を傍らにしている。

 当時から家庭内被虐待者の特徴が色濃く出ていた過去の私は教員側からすれば影が薄い問題児であったのだろう。
欠席連絡もなく姿を消した生徒の安否確認が取れず、担任・副担任・部活顧問をはじめとした高校は懊悩したようだ。
責任問題になるから。

 生徒に自殺でもされるとマスメディアの煽動により解りやすい標的を聖職者にし、世間は槍玉にあげる。
鬼の首を高らかに掲げる世間をみる鬼側は、何を想うだろうか。
果たして鬼は誰なのだろうか。
鬼はいつでも善人の中に潜み、善人が善人の善を振りかざせるときに噴出する機会を窺っておる。

 サボタージュしたのち、しれっとした顔で再び高校に現れた私は顔色を悪くした担任から懊悩を言語化し伝えられたことでたいそう恐縮した。
報連相は大事なのである。
担任の教員人生が終わる引き金を引くところだったようで、家庭のことをちらりと打ち明けた部活顧問に担任をあんまりいじめないでやってくれと言わせてしまった。
人を間接的に殺すところだったのだ。

 児童への不適切な取り扱い、則ち、児童虐待は子どもが生きるための活力を根こそぎ奪い去り、踏みにじり、消し炭にする。
その結果、非常識になる。
当人にとっての日常は常識ある人々にとっての非日常であり、その非日常を生き延びるために常識は武器にはならないからだ。
見てくれを装い、戯ける。
平気のへいざのクラッカー。

 「人間不信だよね。気遣いすぎると嫌がる人たちばかりだから気遣わないで、こっちも疲れるし」
人間によく言われてしまう言葉に独り苦笑する。
昔よりだいぶマシになった顔色伺いの癖は抜けきらず、から回る。
カラカラカラカラ、齧歯類の回す回し車のようにから回る。
この対人技術は幼少期から命を握る支配者への顔色伺いに端を発する。
雀の魂百まで。
抜け切らないままズルズルと引きずり続けてきている。

 「頭良いんだから」
人前で良い顔をする道化を買いかぶる人間に掛けられる言葉の後ろに、もっと頑張って私達の仕事を減らせ、負担をなくせ、私達の役に立て、という文句を付加してしまう。
役立たずは要らない、貧弱な存在は要らない、無能は要らない、もっともっともっと頑張れ。

 正体不明な自分を眺める。
百人くらい居る気がする。
どれも外側は同じ姿である。
中身だけ違うようだ。
周りには中身の違いなどわからない、中身は見えないからだ。

 周りの常識を振りかざす人々に非常識を責められ、身体も精神もポンコツであることを突き付けられる。

こころは荒野であり続け、誰をも信じられない。
独りが一番安らぐ一方で、仲間を捜し求める気持ちもある。
だからこそ私はサボタージュをする。
自分自身を放棄して、今ココに集中をする。
遥か未来を眺めることも、置いてきた過去を眺めることもしない。
過去も未来も現在も、何の意味もない。

 生きて他者と関わる以上、誰しもが間接的に殺人をし続けるのだろう。
誰も彼もがロクデナシだという目線でしか人を眺められないまま、私は傍らの消滅願望にサボタージュの飴玉をやる。

ほら、少しだけ、肩の力を抜いてさ。
夜空でも眺めようぜバディ。

感謝感激雨霰、あなたに幸あれかし。
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よくわからない生物。 2016年に入学した社会福祉系大学在学時にフラッシュバックに悩まされ見事に拗らせる。 通院拒否し続けた結果、治療意欲のないクライエント化する。 実習に行かせて頂けず、社会福祉主事任用資格のみを手にして卒業。 精神保健福祉士になりたいがひとがこわい。

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