小説『ウィ・ガット・サマータイム!』 土居豊作 第5章 ユニゾン3〜吹奏楽コンクール
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小説『ウィ・ガット・サマータイム!』 土居豊作 第5章 ユニゾン3〜吹奏楽コンクール

土居豊


小説『ウィ・ガット・サマータイム!』
土居豊 作

第5章 ユニゾン3〜吹奏楽コンクール


サマータイム表紙5



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プロローグ〜メインテーマ
第1章 ユニゾン1〜謎の楽譜

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第2章 ソロ1〜ジャズ喫茶と古本屋
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第3章 ユニゾン2〜謎の楽譜その2
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第4章 ソロ2〜チェと南蛮屋
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第5章 ユニゾン3〜コンクール


1)顧問の憂鬱


片桐市にある関西府立晴日山高校の吹奏楽部の顧問は物理の桂川先生だったが、彼は特に音楽に詳しいわけではなく、楽器の指導もできなかった。それでも高校のクラブは、だれでもいいから教師が顧問として1人付いていないと活動できないので、自分のクラスの生徒でもある吹奏楽部員に頼まれて、やむなく引き受けたのだった。
数年前まで吹奏楽部は人数も少なく、全国吹奏楽コンクールにも地方大会のBランクで出場するのがやっとだった。それというのも、専門の音楽の教諭は合唱部にかかりきりで、全国合唱コンクールの金賞をとるほどだったのだが、吹奏楽は指導者がいないも同然、生徒だけで活動をやっていた。
その代わり、高校のOB・OGが時々、後輩の指導にやってきて、楽器ごとにアドバイスをしていた。その先輩たちにしても、大学のクラブで吹奏楽や管弦楽をやっている程度で、音楽大学で専門的に勉強しているOB・OGはほとんどいなかった。
このように素人同士で教えあってなんとかやっているクラブなので、演奏レベルは他の学校に劣るはずだった。だが意外にもこの高校の吹奏楽部の演奏は、奇妙なぐらい地元の中学生などに人気があった。
『おそらくこのバンドが、生徒だけで自由奔放に演奏会をやっているからだろう』
桂川先生は、そう考えていた。
事実、吹奏楽部の演奏会は生徒たちが生き生きとして、音楽には素人の桂川先生が聞いてもいかにも楽しそうだった。
学校の吹奏楽部の演奏は、たいてい音楽教師の趣味で決まることが多かった。先生が曲を決め、先生好みの演奏ぶりで、いかにも学校の活動ですといった演奏が多かった。その中にあって、生徒だけで企画運営し、生徒たちで意見を出し合って曲を決め、生徒の中から選んだ指揮者が振って演奏する吹奏楽部はかなり珍しかった。その演奏はとても自発性があり、お行儀良くなくて活力に満ちていた。
音楽のことはよくわからないながらも、自分が顧問をしている吹奏楽部が地域で人気がある噂は、桂川先生もよく耳にしていた。だから、なおさら自分がいらない口出しをしないよう、極力生徒たちのやりたいようにやらせようと思っていた。
そんなわけで、毎週のように日曜日、吹奏楽部の練習の付き添いで学校に出勤しなければならないのは正直大変だが、桂川先生は活動に口をはさまず、文字通り付き添いに徹した。吹奏楽部の練習する音が、古い方の校舎《旧館》に響いているのを聞きながら、桂川先生は理科の教員の準備室で、備え付けの古いソファに横になって日頃の睡眠不足を解消したり、のんびり新聞を読んだり、仕事の残りを片付けたりしていた。何しろ、準備室に日曜日、出勤している教師はほぼ自分だけなので、好きなように時間を過ごすことができた。そのかわり、若くて独身の身の上なのに日曜日に彼女とデートしたりはできないのだが、彼女もいないのでその点、不自由は感じなかった。
もっとも、学校の教師たちの中では、桂川先生のような生徒任せのクラブのあり方に風当たりは強かった。校長や教頭もさすがに直接注意はしなかったが、それとなく運営方法に反対だとほのめかしたりするのだった。
けれど桂川先生は、あくまで生徒の自主性にまかせる方針を崩さなかった。吹奏楽部が自由に活動できるように、余計な邪魔が入らないことだけ、気を配っていた。
桂川先生が高校の教師になったのは部活の指導のためではなく、物理の授業で生徒を教えるのが目的だった。彼だけでなく、多くの高校教師は大学でそれぞれの専門の学問をし、その知識を高校生に教えるのが目的で教師になる。
けれど実際の高校の現場は、授業はもちろんだが、クラスの活動や部活動も大きなウェイトを占めている。特に晴日山高校のように部活動が熱心な高校では、部活は1年中、ほぼ休みなく行われている。それに、他の公立高校と違って晴日山高校には定時制があるため、平日の放課後の下校時間が早い。そのぶん、他校とのハンデを取り戻すために土曜や日曜祝日にも部活が行われることになる。
生徒だけが勝手に部活をやっていいのなら教師は休めるのだが、高校の場合、土日祝日に部活をやるなら必ず教師が付き添わなければならない。だから、晴日山高校で部活の顧問を引き受けると、休日出勤して部活の付き添いをやる羽目になる。顧問は、教員が公平に分担しているのではなく、部活の生徒がそれぞれ、教師にお願いにきて、引き受けるかどうか決めるという建前になっている。いきおい、人の良さそうな教師は、たくさんの部活の顧問を兼任することが多い。
桂川先生の場合、それほど生徒たちに人気があるわけではなく、頼みやすそうな外見でもなかったので、複数の顧問を引き受ける羽目にはならなかった。それでも、極め付けに休日活動の多い吹奏楽部を引き受けていれば、もはや土日の休みはないも同じだった。
部活に熱心な先生なら生徒たちと一緒に部活をやったりするのだが、桂川先生は吹奏楽部の練習が終わるまで、校内でのんびり過ごしているだけだった。生徒と一緒に活動できる方が時間が無駄にならないかもしれないが、彼は学生たちと一緒に音楽がやれるような素養はなかったし、その気もなかった。
土日祝日も夏休み冬休みもずっと、ほぼ365日休み無しに出勤しなくてはならないのだから、妻子がいたらそんな生活は不可能だろう。桂川先生は学校からほど近いところにある実家住まいの独身男だったので、両親に呆れられながらも、吹奏楽部のお守りを内心、楽しんでいた。
そんな桂川先生にも、部活の顧問として仕事が回ってくる機会が、年に数回あった。それは吹奏楽部が学校の外で演奏する時だ。
春に新入生が入り、夏には合宿がある。その合宿の付き添いにも、もちろんついていく。とはいえ、合宿は吹奏楽部の場合、練習で音を出せなければならないので、だいたい毎年、同じ宿にお世話になっていた。そこの予約は、部員の中で係を決めて、自分たちでこなしていたから、顧問としては合宿の期間、その宿に泊まって、のんびりしていればいいのだった。
合宿が終わると夏に吹奏楽コンクールがあるが、この際にも、楽器を会場に運び込んでまた学校に持ち帰るまで、顧問は付き添わなければならない。楽器の運搬は、大所帯の吹奏楽部の場合はなかなか難問で、たいていはトラックをレンタルしたり、運送会社に依頼したりする。けれど、晴日山高校の吹奏楽部は、ほぼ自力で楽器を会場まで運んでいた。それというのも、大所帯の他校と比べて、運ぶのが大変な打楽器が少なかったからだ。
同じように、片桐市の市民会館でやる演奏会の際にも、楽器運搬は生徒たちが自力でこなしていた。だから桂川先生は、文字通り身一つで付き添えばよかった。
ところで、自分は運搬などをしなくて済むのはありがたかったが、一つ、気がかりがあるのだった。それは、学校外での行事のたびに、吹奏楽部のOB・OGが数人、手伝いにやってきて、現役の高校生と何かとトラブルを起こすことだった。本来なら、先輩たちが手伝いにきてくれたら、現役生は喜んで感謝するものなのかもしれない。ところが、晴日山高校の吹奏楽部員は、それがある種の伝統なのか、あるいは吹奏楽部員に特有の反骨心なのか、先輩の助力に感謝するより、むしろ口出しされることを嫌がるようだった。
顧問の教師としては、卒業生が手伝いにきてくれるのを感謝するしかないのだが、一方で、現役生が先輩と喧嘩する気持ちも、事情をよく聞けばわからないでもなかった。顧問の先生として、いったいどちらの肩を持つべきか、なかなかに悩ましい問題だった。


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2)吹奏楽コンクールの日


たいていの吹奏楽部は、吹奏楽コンクールに出る。それも、全国吹奏楽コンクール出場を目指している部が多い。
もちろん、全国コンクールに出るには、まず地方大会を勝ち抜く必要がある。
関西府の場合、8月初旬に府立青少年会館で大会が行われていた。このコンクールは、共通の課題曲を1つと自由曲を1つ選んで、制限時間内に演奏し、審査員が順位をつけるのだ。もっとも、細かい順位は明らかにされず、参加校を大きく3つに分けるだけだ。もっとも多いのは銅賞で、これはいわば参加賞。次に銀賞、金賞だが、次の大会に進むためには金賞を取らなければならない。
府立晴日山高校吹奏楽部はこの年、銀賞だったので、次の関西大会には進めなかった。
だが、それは半ば予想通りの結果だったので、部員たちはさほどがっかりした様子もなかった。
なぜなら、この高校の吹奏楽部は、特に指導者にも教わらず、生徒だけで練習していたので、コンクールの審査員に喜ばれるような正確で音楽的に正統的な演奏は、元々あまりうまくできないのだった。
それに、関西府の吹奏楽コンクールでは、有名な指導者が率いる旭工業高校や、私立の強豪校がひしめいていて、たとえ晴日山高校がプロの指導者を招いたとしても、コンクールで関西大会や、全国大会へ進出するような可能性は少ないだろう。
そもそも、吹奏楽をきちんと演奏するには、それぞれの楽器の基本的な演奏法を基礎から練習し、ある程度正確に演奏できるようになっているのが前提で、その上でさらに、合奏をまとめる指揮者が、音楽的な知識をちゃんと持って指揮する必要がある。
晴日山高校の場合、各楽器の演奏も手探りなら、指揮者も学生の指揮者で、もちろん音楽的な研鑽を積んだわけではない。お互い完全に素人同士の奏者と指揮者が、いわばぶつかり合いながらの合奏なので、楽曲の基本的な組み立てやリズム、和声的な正しさなどはほとんど顧みられていなかった。
そのかわり、このバンドの演奏は、16、7歳の生徒たちがお互いの情熱をメロディーとリズム、和音に思い切りぶつけて、文字通り若さにまかせた勢いのある演奏をするのが特徴だった。今年の2年生指揮者の立花かおるも、基本的なリズム感と和声感覚は持っていたが、指揮をする技術は全くの素人だった。指揮者として同じ部員たちの前に立ってタクトを振るとき、その武器は自らのロマンティシズムとリズムの躍動感だけだった。
そういう若さ溢れる演奏は、たいていリズムと和声があいまいで、楽曲の組み立ても型破りになった。コンクールの審査員には、最も評価されない演奏だった。
そのかわり、同じその演奏がコンサートでは聴衆を巻き込み、ノリのいいステージを創り上げることにつながるのだった。
今回の夏のコンクールでも、晴日山高校吹奏楽部は、自由曲として吹奏楽曲の中でもノリのいいメロディアスな曲を用意し、思い切り情熱的な演奏をした。
かおるの指揮は、ほとんどの学校が顧問の先生や指導者のプロの指揮が続く中で、現役生徒の、しかも女子の指揮者とあって、注目を集めたようだった。
そのせいもあってか、参加賞の銅賞は免れて銀賞となったが、審査員の講評は辛口のものが多かった。
会場の青少年会館は大阪城の南側、難波宮の隣にある。広い敷地の中には大ホールの他に文化施設がいくつもあり、施設内の広々としたロビーや広間には、吹奏楽コンクールの出場校の生徒が大勢たむろしていた。
晴日山高校の面々は、ロビーの片隅に大型楽器をまとめて置き、ホールの中で他校の演奏を聞いたり、ロビーで喋っていたり、好きに過ごしていた。
指揮者の立花かおると部長の桜井敦士は、立場上、他校の演奏を聞いているのでロビーには出ていない。みきおとあきらは、演奏を聞くのはほどほどにして、むしろロビーで日頃接することの少ない他校生を見物しながら、女子の品定めをやっていた。特に関西府の北摂の高校と違って、関西市内の高校は制服も色とりどりで、日頃見慣れない制服を見比べているだけで楽しめたのだ。
木下幸や矢代佳世たちは、さっさと会場を抜け出して、大通りを挟んだ北側にある大阪城公園に遊びに行ってしまっていた。
夕方、コンクールの講評会が終わって、大きな楽器類を学校に運ぶ係の生徒を見送りがてら、部員たちは青少年会館から日生球場の横の坂を下って、国鉄環状線の森ノ宮駅まで歩いた。
道々、かおるは人目を引いていたようだった。
「ほら、あの子」
「ああ、女指揮者の?」
「すごいな、女子なのに、あんなに激しい指揮」
「うちも、来年は女子でいくか?」
ちらほらと聞こえてくる噂話を、かおるは聞き流しながら、内心まんざらでもなかった。
「おい、気にしなくていいからな」
あきらは、かおるに耳打ちした。
「あら、ありがと。心配しないで、平気だから」
かおるは、あきらに向かってにんまりと笑って見せた。
「何と言っても、うちのバンドはかおるが指揮してるから、テンションが上がるんだ」
みきおは、ティンパニーの端を持って歩きながら、かおるに声をかけた。
「ほんとは、みきおが指揮者になりたかったんだろ?」
あきらはまぜっかえした。
「いや、最初はね。でも、ならなくてよかったよ。あんなOBたちの横槍を、とても我慢できなかった。ブチ切れて殴ってたかも」
「あの時は、助かったよ、みきお」
かおるは、OBたちが指導しに来て、かおるの指揮ぶりにあれこれいちゃもんをつけてきた合奏のことを思い出した。
「もうちょっとで、おれ、殴るとこだった。あの色ボケ野郎」
あきらは、顔をしかめた。
「殴ってたら、コンクール出場できなかったかもね」
みきおは、ため息をついた。それはティンパニーが重いせいでもあった。
「おいおい、力を抜かないでくれ。落としてしまう」
ティンパニーの片側を持っていた顧問の桂川先生が、みきおに声をかけた。
「すみません」
みきおは、ティンパニーを持つ手に力を入れなおして、手のひらに食い込んで痛い箇所をちょっとだけずらした。
桂川先生は、生徒と一緒にティンパニーを運びながら、つらつらと考えていた。
打楽器の運搬は、ほとんどの学校が運送業者を使って大型トラックで運んでくるか、学校関係者の車で運んでいるが、彼らの吹奏楽部の場合、そういう援助が得られないため、高校から手で国鉄駅まで運び、また最寄り駅からホールまで運ぶ、という原始的なスタイルだ。
それというのも、昨年までは、OB・OGの協力で、打楽器などの大型楽器は卒業生がトラックを出して運んでくれたのだが、例の事件以来、生徒の方で手助けを断ったため、手で運ぶということになったのだ。しかも、吹奏楽部の場合、他の顧問の先生の手助けもほとんど期待できない。
学生のバンドが大人の助けなしに活動するのは、なかなか甘いものではないのだ。
幸い、学校が国鉄駅から徒歩5分という立地のおかげで、楽器を人力で運搬するのも可能だった。電車に乗せるには、大型楽器は1人分の運賃を取られるので出費はかさむが、それでも運送業者を雇うことを思えば、安上がりというものだった。
このような楽器運搬の苦労は、吹奏楽の編成が大型楽器をどうしても必要とするために生じる問題だった。
吹奏楽が元々のマーチングバンドのような編成であれば、基本的に演奏しながら歩く前提なので、打楽器にしても手で運搬できないことはない。しかし、現代の吹奏楽の形式になって、特に打楽器が増えたせいで、バンドが移動するために運搬手段が問題になってきた。ティンパニーも、小型のものを2つ、3つぐらいなら生徒の手で運べないことはないが、大型のペダル・ティンパニーがいくつもあれば、さすがに彼らも手では運べなかっただろう。
ましてや、ドラムセットやマリンバ、チャイムのような大きな打楽器を使うのであれば、やはり車で運ぶしかない。
今回のコンクールでは、打楽器が必要最小限の編成で可能な曲だったから、手で運ぶやり方で出場できたのだ。
ともかく、吹奏楽の場合、楽器の問題は常に頭痛の種だった。高校の部活でやるにしては、道具である楽器が高価すぎるのだ。
それでなくても、桂川先生は音楽の門外漢で、実際に自分が顧問になるまでは、吹奏楽部の楽器がこれほど高価なものばかりとは知らなかった。
桂川先生の、もう一つの憂鬱の種は、生徒たちがしゃべっているのを聞くともなく聞き流している「先輩とのいざこざ」問題だった。



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吹奏楽好きの方、ジャズ好きの方、80年代に学生時代を過ごした方、昭和の青春群像を懐かしみたい方、あるいは、これまでの吹奏楽もの小説に不満足な方、新しい吹奏楽ものを読みたい方、ぜひ!

(あとがきより)
学生たちの音楽演奏や音楽鑑賞のあり方として、吹奏楽とモダン・ジャズは、同じ管楽器を使うとはいえ、ありようが大きく異なるジャンルです。吹奏楽は元が軍楽隊、あるいは管弦楽の亜種でもあったからか、特に学生の吹奏楽演奏は非常に規律正しいものになりがちです。大人数の学生バンドを緻密なアンサンブルに仕上げるには、管弦楽以上に規律が必要なのかもしれません。一方で、同じ管楽器を使った音楽でも、ジャズはリズムとインプロビゼーション、グルーブといったノリを重視する音楽です。この両者を融合しようとする音楽づくりと、完全にジャンル分けしようとする演奏、こういう両極端の音楽のありようを本作で描こうと試みました。これは、実は作者自身の実体験が元になっています。吹奏楽を学生時代やっていたのですが、音楽づくりの方向性で仲間と意見が合わず、ずいぶんと悩んだものです。クラシック音楽を志向していた自分は、ジャズ好きの仲間と一緒に曲を選んだり演奏していく中で、ひそかに孤立感を味わったこともあります。
本作の登場人物たちも、それぞれの音楽づくりに悩みつつ、みんなで演奏する喜びを実現しようと苦闘していきます。

付け加えると、昨今の新型コロナ危機で、吹奏楽の活動を見直す空気が広がっていることも、本作を急遽、電子版で上梓しようと決めたきっかけです。
音楽・文化活動全般が、感染防止の「自粛要請」(これは字義矛盾の用語だと思います)によって危機に立たされています。特に吹奏楽はその特性上、感染防止のためには演奏しないことしか選択肢がないように思います。でも一方で、学生たちにとっては今しか仲間たちと演奏する機会はない、という切実な思いもあります。
また、2020年の全国吹奏楽コンクールをどうするのか? 学生吹奏楽におけるコンクール至上主義を、この感染危機をきっかけに考え直すべきなのではないでしょうか。
そんなあれこれを思いつつ、80年代の、まだのどかだった吹奏楽青春模様を、ひとときの間でも共有してください。

2020年4月

土居豊



『ウィ・ガット・サマータイム!』
主要なキャラ


早瀬みきお

吹奏楽部の2年生。コンサートマスター(クラリネット担当)。
眉目流麗。生真面目な性格なので、部員の信頼も厚い。がっしりした体格に、面長で目鼻立ちの整った顔。唯一の欠点は、服装にこだわらないこと。


立花かおる

吹奏楽部の2年生。指揮者。
女子としては背が高く、すらりと痩せた体格。小学生の頃からクラスのリーダー格で、前に出て指示するのがよく似合う。天然ボケがユーモラスで、愛すべき人柄。みきおの母親のピアノ教室に幼い頃から通っていた。みきおとは住んでいる市が違うので小中学校とも別だったが、ピアノを一緒にやっていたので、いわば幼馴染の友達どうし。

佐久間あきら

吹奏楽部の2年生。サックス奏者。
大柄でたくましく、陽気な笑顔が特徴。髪は長く伸ばしていつもモジャモジャに絡み合っており、二重の目が大きい。ミュージシャンとしてアメリカデビューすることが目標だ。みきおとかおると仲良しだが、音楽観の違いに悩む。


桜井敦士
吹奏楽部の2年生。部長(チューバ担当)。
巨漢で、豪放磊落そうな見かけだが、神経が細やかでよく気がつく性格。


木下幸
吹奏楽部の2年生。(トロンボーン担当)。
細かいことにこだわらない性格で、常に前向きなので、部内のトラブルも上手におさめる。


矢代佳世
吹奏楽部の2年生。(ドラム担当)。
あだ名は、かよちん。髪の長いお嬢様風の見た目で、色が非常に白く、整った顔立ち。外見そのままのお嬢様育ちだが見かけによらず腕力がある。理系科目が得意で計算にも強く、吹奏楽部の会計を任されている。頼まれると断れない性格。


桂川先生

片桐市にある関西府立晴日山高校の吹奏楽部の顧問。物理の教師。独身で、学校からほど近いところにある実家住まい。

片桐市内の古本屋《南蛮屋》の店主

《南蛮屋》は、この市内で一番大きな古本屋。私鉄駅からまっすぐに古い神社に向ってのびる参道沿いの、商店街のはずれにある。

ジャズ喫茶《チェ》のマスター

40代ぐらいだが年齢より若くみえるので、客はたいてい30代かと思う。古書店主と同じ歳で、高校の同期だった。


【物語の舞台】

片桐市にある関西府立晴日山高校

片桐市の国鉄駅のすぐ近くにあり、通学に便利。関西府立高校の中でも人気の高い学校で、元々は高等女学校、戦前からある伝統校。
校舎は大正から昭和初期にかけての近代建築で、優雅なデザインであり、分厚い石の建材や、明かりとりの窓の飾りなど、大正ロマンの雰囲気が漂っている。
「旧館」と呼ばれる中央校舎には、第二次大戦中に米軍のグラマン戦闘機から機銃掃射を受けた弾痕が残っている。戦時中、校舎は病院代わりに使われた。


物語の時代背景
1983年の関西府。
冷戦の時代。バブル前であり、景気は良くないが、国の雰囲気は安定していて、いかにも平和な空気があった。まだポケベルも携帯も、パソコンさえなかった時代。昭和の最後の数年、公立高校の生徒たちは、部活一色の生活をエンジョイしていた。


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ウィガット表紙用


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土居豊

土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/

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土居豊
作家・文芸ソムリエの土居豊です。Amazon著者ページhttp://www.amazon.co.jp/-/e/B00491B5TQ