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どんなに「お客さん」を呼び込んでも、「つくり手」が増えなければまちは消滅する。

いろんなまちが必死になって、まちのPRをし、移住を促したり、観光に来てもらったり、関係人口としての関わりを模索したり、とにかく人を呼び込もうとしています。

人口が増えるのも、観光客が増えるのも、関係人口が拡大するのも、確かに良いことです。

しかし、まちの「お客さん」をいくら増やしても、サービスや製品を供給する「つくり手」側を増やさない限り、あっという間に消費されて、まちは消滅していくことを理解しておく必要があります。

「お客さん」が増えればそこに需要が生まれ、必然的に「つくり手」も増えていくと思う方もいるかもしれませんが、そんなに世の中簡単ではありません。

例えば、お客さんを増やすために、商店街で使えるクーポンを行政が発行したとします。お客さんは喜んで商店街に買い物に来ますが、シャッター通り商店街で買い物ができるお店はほとんどありません。

しかし、クーポンの期限は決まっているので、仕方なく買いたくもない商品を買い、家に帰ります。きっとまた商店街を訪れることはないでしょう。

で、そのあとどうなりますか?そう、これで終了です。

ここから「つくり手」が増える未来はないのです。

他の事例も考えてみましょう。お客さんを呼び込むために行政が補助金を出して、空き家のリノベーションをし、ゲストハウスをつくったとします。

もちろん行政が運営することはできないので、運営者の候補になりそうな地元の事業者を探し、初期投資は全部行政が持つし、なんなら1−2年の運営費も補助金で出すから運営してくれないか?と持ちかけたりします。

ここからどんな未来が待っているでしょうか?人がたくさん泊りにくる未来も待っているかもしれないけど、きっとこの事業者は「頼まれたし、身銭も切ってないからテキトーにやるか」とロクな運営にならないはずです。

こうした事業は、「つくり手」を増やすようで、事業者自体を「お客さん」にしてしまっているのです。

これらの事例は仮想のものではありますが、自分が様々な自治体に関わるなかで似たような話はよく耳にしますし、皆さんも「あるよね」と相槌を打ったはずです。

つまり、なにが言いたいかというと、これからのまちづくりにおいてもっとも重要なのは、まちの「つくり手」を増やすことだ!というわけです。

まちのPRだ!と言って、税金を突っ込んで観光客が増えたとしても、それは麻薬のようなもので、常に広告費を投入し続けなければ継続効果は見込めません。

そんな短期的な利益のためにお金を使うのならば、「つくり手」を増やす施策を最優先に取り組んでいく方がよっぽど良いでしょう。

その方法のひとつとして考えられるのは、若者を育てていくこと、出番をつくっていくことです。

例えば、静岡市では「高校生まづくりスクール」という事業にここ4,5年ほど携わっています。ざっくりいうと高校生のまちづくり参加プログラムで、毎年20名くらいの高校生がこのスクールを修了しています。

スクールの終了生の中には、大学生や社会人になって、自分でまちづくりのプロジェクトをはじめた子、まちづくり団体に関わることになった子がではじめています。

短期的に数値で表すことができない成果ですが、この事業はまちの「つくり手」を増やすことに確実に寄与しています。

ちょっと社会的な話をすると、いまの教育は子ども・若者の消費者的な人格を育て過ぎており、つくり手的な人格をきちんと育てられていないと感じいています。

大人からの評価に常に晒され、大人の目を伺いながら過ごす日々。自分でつくり出すことよりも、大人が良いと思うもの、大人から示されたもののなかから、間違いのないように選んでいく。

それがいまの子ども・若者たちの生きている環境ではないでしょうか?

どうせこれからの社会はなにが正解かなんて誰にもわからないんだから、どんどん子ども・若者の出番をつくり、彼らとともに社会をつくっていく、そんな風になればきっと「つくり手」は増えていきます。

これは子どもや若者だけに限らず、大人であっても同じことです。

クーポンを配る、補助金を出す、まちにきて!とPRをする、これは基本的に消費的な人格を刺激するものです。消費者だらけの社会は、消費しきられた時点で終了です。

一緒に新しい社会、まちをつくっていく、課題を解決していく。

そんなスタンスで人間の創造的な人格を刺激し、「つくり手」を増やしていくことこそ、本当に必要なことではないでしょうか?


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