見出し画像

ありがとう、あいまいえ

2016年11月、日本橋蠣殻町に「あいまいえ」は誕生した。カバー写真は引越し初日とかの大広間。2020年10月末までの丸4年間。 日数にすると1459日。

2015年11月に北鎌倉に古民家「ミライエ」が誕生
2016年11月に日本橋に「あいまいえ」が誕生
2017年10月に「ミライエ」から「いえいえ」へ引っ越し
2018年11月に2年の契約更新をし
2020年10月に4年の契約満期で「あいまいえ」完了

あいまいえという舞台で生まれる感情

「あいまいえ」という舞台の上で、多様な登場人物がそれぞれの人生を生き、時に交差し、時に影響しあい物語が進んでいく。住人6人を中心に、元住人や半住人、ゲスト、来訪者なども含めると数十人以上。それぞれの色をした糸が結われ、綺麗な織物ができる。

多くの人が登場する舞台の上で生活するからこそ、1人でいるよりも多くの、様々な感情が湧き出てくる。それは嬉しさや暖かさ、一方で、人と交わる中での恐れや怒り、悲しみなども。あと、笑いのセンスは皆高く、日々笑わせてもらっていた。

今は色鮮やかに思い出せるが、この"感情"は時間の流れや人生のライフステージの変化と共に、目の前の人生のイベントに我々は心奪われ、その一瞬一瞬をきっと皆は精一杯生きていくであろう。(自分も今、子育てという一大イベント真っ最中で、日々喜怒哀楽のネタは尽きない。)

そして、他の人が感じていたこと・起きていたこと、実は知らなかったということも多いのである。そんな時「言葉」という記録は強い。(ということを、兄弟シェアハウス"いえいえ"の1周年リレーブログで感じた。)

実はこう思っていた、感じていた。あの人のこの言葉が嬉しかった。あの行動に助けられた。あの人のここに影響を受けた。あの人のここはすごい。など

個性豊かなメンバー達が暮らしていたわけだから、そんな思い出が多く生まれたはずだ。

記憶を形に残すということ

記憶が鮮やかなうちに何か形に残したいと思い、卒アル編集部が発足した。私の声かけに手を上げてくれたゆかりちゃん。この人なら手を貸してくれるだろうと声をかけたはるちゃん。(はるちゃんは住人ではないが、あいまいえや前提のコミュニティであるワークルの歴史の中でも、大事な登場人物であり、彼女の在り方にとても感謝している。)

スクリーンショット 2020-11-30 6.38.50

そして、退去前に行われた、2020/10/10〜11の住人や元住人集合してのあいまいえ完了旅行。私は産後ということで行けなかったのだが、我々らしい内省ワークを参加者に託した。あいまいえがあったからこそできたことは?印象に残っている出会いは?他住人のエピソードは?などなど

どうなるかな〜と娘2人と両親と過ごしながら皆の場に思いを馳せていたところ、「良い対話となりました!」という報告と共に、ぎっしりと書き込まれたワークシートの写真。やはり、自分が想像している以上に色んなものが生まれていたんだなと確信した。帰宅したパートナー町塚も、「とても良い時間だったよ!!」と語気強めに伝えてくれた。

スクリーンショット 2020-11-30 6.26.46

画像2

場所に残る記憶

そんな自分も1人1人との思い出、エピソードが多分にあり、10/31の退去の日、からっぽになったあいまいえを見ながら思い出していた。

画像5

和室の丸いテーブルを囲んでの対話。
キッチンでの食事の準備や片付け。
ギュウギュウに人が入り熱気に包まれた大広間。
追いやられるように逃げたベランダと階段の間。
マイバスケットや八百屋への買い出しの途中での会話。

画像4

詳細はここでは割愛するが、一つ伝えたいとするのであれば、あいまいえは私にとってサークルのような、若かりし単身時代の青春の場だった。東京のど真ん中で、自由に踊らせてもらった舞台であった。その時代はもう戻ってこないと思う。だから言いたい。ありがとう、あいまいえ。ありがとう、みんな。


あいまいえでの記憶を胸に、皆の未来に幸あれ!

こうして生まれた卒業文集。1人1人の記憶が詰まった記録はこちらのマガジンにまとまっているので、ぜひご覧ください。ここでの暮らし、ここでの出会い、ここでの成長を基に、それぞれの人生がより豊かなものになりますよう。

ありがとう、あいまいえ|あいまいえ #note https://note.com/aimaie/m/m02f32cff5b5c


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?