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『ピアノの森』:表現の世界

一度、途中まで読んでおいて、スルーをしていた作品。最近、ピアノの世界について知る機会があったからか、通読してみるとかなり面白かった。

感想を簡単にまとめておきたい。

概要

主人公のカイは「森の端」という治安の悪い売春窟で生まれた小学生。彼の母は売春婦だ。そんな身の上のせいで同級生からイジメられるし、私生活でも森の端の連中がロクでもない関わり方をしてくる。憂鬱な日々だ。

だがカイは、森の中で一台のピアノと出会い、それを気ままに弾くことを自らの癒しとしていた。

カイはピアノの天才だった。その才能を、不運のケガで引退した天才ピアニスト、阿字野に見出され…

ピアノで「表現」するということ

ピアノの世界というのは、考えてみると不思議である。同じ楽曲を弾いて競い合うのだが、その優劣はどうやって決めたらいいのだろうか。

わかりやすいのはミスの少なさだろう。鍵盤の押し間違い、タイミングの狂いなどが少ないほうが、一般に優れた演奏といえる。

しかし、ミスのなさというのは、ごくごく初歩的な要素に過ぎない。同じ楽譜で、ミスがゼロだったとしても、演奏にはそれぞれ個性が出てくるものだ。同じ音階であっても、鍵盤をどう叩くか、ペダルをどう踏むかでその音色は様々だからだ。

ここで、楽譜への解釈・理解の深さが問われることになる。その楽曲がどのように演奏されるべきものかは、楽譜自体からもある程度汲み取れるものではある。しかし、作曲家の人格、作曲時の心境や状況などをしれば、その理解に奥行きが生じ、どのようなタッチで弾くべきかが明らかになっていく。

もうひとつ重要なのは、演奏者自身の人生経験や感性である。例えば失恋したことがない人間が、失恋ソングを歌っても、説得力のある表現はできないだろう。

楽譜の中には、様々なストーリーがある。「深い絶望」「そのなかで見えたかすかな希望」「それにすがろうとする気持ち」などを表現しなければならないというとき、当人の人生経験の広さ、深さが助けになるものだ。実際、「これは80歳になってから弾きたい」と言われる曲があるぐらいである。

話が長くなったが、このような「ピアノで表現をする」ということが、よく描写されているのがこの作品なのである。カイは天才的な感性を持っているのだが、それにくわえ、森の端で過ごした悲惨な人生経験も武器となっているのである。

さらに、テクニック偏重になってしまう雨宮とカイとのコントラストや、頭の固い審査員と、理解者とのコントラストなどで、音楽を表現するということが入念に描かれているのである。

サクセスストーリーとして

本作は、実はサクセスストーリーとしては単純なものだ。カイは終始天才で、圧倒的である。コンクールでどう審査されるかは別として、とにかくカイは勝ち続け、一発でショパンコンクールを優勝する。少年漫画にありがちな、挫折の描写は行われない。

これは、カイというキャラクターがそう作られたから必然的にそうなったのだろう。しかし、挫折なきサクセスストーリーには単調化のリスクがつきまとうだろう。

まあ、カイの出自の悲惨さ、青年期の努力の日々がしっかりと描写されているため、カイがストレートに成功を収めても「うまくいきすぎ」ではなく「よかったなぁ」という気持ちに素直になれる。そのあたりもうまくできている。

しかし、それ以上に本作では、挫折を挑戦の要素を、準主人公の雨宮に割り振ることで、うまくバランスがとられている。彼はピアノエリートでありながら、カイのような感性をもたず、「テクニック的に完璧」なピアノに終始してしまうのだ。

そんな彼が、カイという壁にもがき苦しみ、変われない自分に嫌悪しつづけ、最後に開花するまでが入念に描かれているのである。これはかなり感動的だった。

最後はカイが正確が良すぎる事、あらゆるキャラが浄化されていることで、すこし甘ったるくも感じたがそれにしてもいい作品だった。


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