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シーエスレポーターズのコミュニケーションデザイン室について、を書いたボクについて

どうも、えんどうです。

今回は、少しだけ会社でやってる仕事のことを雑談的に書いていこうと思います。「なんで」「どうして」時になった方もいらっしゃるかと思いますが、理由は至極簡単でシーエスレポーターズのサイト内のコンテンツとしてボクが書いたテキストが公開されたからです。

はっきり言ってしまうと、今回ボクが書きたいと思っている内容は上記のサイトで読んでもらえれば、それだけで構わない程度の内容ですので、それを了承の上で読み進めてもらえると、これ幸いです。


『コミュニケーションデザイン室』って大層な名称をつけていただいていますが、簡単に述べると「広報」です。一般的な言い方をすれば広報なんです、ボクの役割は。

まったくもって適しているのかどうかはサッパリなのですが、短いようで長く、長いようで短い人生の中で貢献できそうな部分として業務を与えてもらうのではなく、能動的に取り組める環境を用意してもらったような状態、それが今のボクが仕事をする場所だと思ってください。

これまでボクが取り組んできた仕事を振り返ってみても、着実に実績と経験を積み重ねてきたのかと言えば、誇れるような物は何もありませんし、むしろ何もなさすぎて悲しくなってしまうぐらいです。それぐらいに「無能」だと実感する日々が続いていました。

それは一般的な社会人として生活を始めてから「何者かになる」とか「何者かになれる」なんて根拠のなさすぎる自信みたいなものが打ち砕かれることが増えた30手前ぐらいから如実に増えたのもあり、なんでもできるような気持ちを抱く「全能感」ではなく、自分は何もできない人間なのではないか、いや、むしろその通りだと絶望に伏す「無能感」を抱く程度に精神的には仕上がっていました。いや、キマってました。


スポーツの世界で仕事をし始めたボクは、個人事業主として経歴を書き始めたのですが、何にもできない無能だからうまくいかず、次には施設を利用しての運動指導を中心にしたところ、売り上げや利益が目に見えて改善できたことに少しだけ自信を身につけられたのもあり、これまでの経歴で最も長い5年ほど属する形になりました。

そこから何を間違ったのか専門学校の職員として働くこととなり、スポーツのビジネス分野を学び始めつつ、学生の立場にある年齢の若い人たちとの接点を持つ機会が増えましたが、やっぱりボクは自分自身のことしか考えてないので、自身の経歴を振り返った時に一般的なビジネスを経験したことがないことに対して異常なまでにコンプレックスを抱きます。

それまでの経歴で意味不明な理解のできない自信を抱いていたことから、「きっと一般ビジネスの世界でも...」なんて淡い期待を抱いていたものの、実際に飛び込んでみるとメチャクチャ敷居が高く、居場所なんてありませんでした。

「あぁ、自分はやっぱり無能だったのか」と実感するばかりの日々と、環境や状況、業務に適応をできなかったことからメンタル的な疾病を罹患。そこで他の一般的なビジネスの世界を模索しつつ、自分ならではの「できること」で貢献できそうなことってなんだ、と考える機会と時間を作ることになりました。

自分が役に立てるのであれば、別に自分の意図するような働き方や業務内容でなかったとしても、諦めて生活をすることに重点をおけばいいや...となんとなく自身の無能さ加減に諦めていた部分もあるように思います。

面接や面談を通して違和感を抱えながら業務を続けていくことの困難さも実感したのですが、その最中でTwitterをきっかけにした課外活動が楽しくなってしまい、全く金銭的な利益を生み出せないけれど、自分自身の認知を少しだけ広げてくれるような機会に恵まれました。

そこで何ができたとは思いませんが、ボクの小さな歴史の中では珍しく前向きでポジティブな動きになったと感じています。

ただ、上にも書いたように金銭的にはトントンなので、決して生活が楽になることはありませんでしたし、家族との生活を考えると、どうにかやりくりする他になかったので、時間調整や日程調整が得意ではないボクの中での負担感も大きかったなぁ、と振り返る次第です。

その反面、身銭を稼ぐためにすることの中に、自分の問題ではない問題に対して対処することを繰り返す場面が多くなってきたり、心理的な安全性を感じられなくなったのを皮切りに、「本音と建前」なんて言葉が大いに嫌いになりました。いや、それまでも好きだったわけではなかったので、改めて嫌いなんだと気づきました。

「ふぅ...」とため息をつく日々が繰り返されるようになった折、体調不良の連続から入院してしまいました。握力も3kgぐらいになってしまい、自分だけで歩くことはもちろん、立つことすらできない状態になってしまったところから、ドンドンと気持ち的にも下向きに、後ろ向きになっていき、徐々にフェードアウトするような形に。

あぁ、やっぱり自分は無能なんだな、と落ち込む時間が流れ始めるのですが、それでもこうやって書いているようにnoteを書き続けました。別にnote出なければいけないわけではなかったのですが、とにかく書き続けていなければ不安だったのもあります。

そうやってボク自身を周知していることを繰り返すことが、結果的に「役に立つかもしれない」と判断してもらえた結果、いまのシーエスレポーターズって環境に辿り着く形になり、冒頭の通り、与えてもらった役割は「広報」なのですが、広報って言い方にしっくりときていなかったのもあり、上にリンクのあるサイト内のコンテンツにも記載している理由から名称を変更してもらうことに。

やっと「凡人」として生きられるような気がしている最中ではありますが、まだまだ足りてないことだらけです。それでも、魅力的な人たちが素敵な仕事をしているんだから、それを「ねぇねぇ聞いてくださいよ!」と触れまわることを継続してやっていく所存です。

なんだか長くなってしまいました。自分の経歴をフワッとさせながら書いたせいです。すいません。

じゃー、それでは。また。

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