見出し画像

ランニングのすゝめ

長い距離や時間を走るのが嫌いです。

冗談でもなんでもなく、本心です。「本心」なんて書いてみましたけど、あんまり気持ちの良いものではないものですね。

本心の他にも言葉があって、それは装飾だし、虚言とも言えるね、みたいになっちゃうじゃないですか。

本心かどうか、と聞かれれば、基本的にぼくの発する言葉は本心となりますが、だったら本心なんて言葉を使わなくていいじゃないか、なんて思いました。

はい。

…で、走るの、嫌いなんです。嫌い、、苦手か。

小学生の頃とかマラソン大会、なんてありましたけど、長くなるし、好きになれなかったのに、当時のぼくは「スキです!」なんて言ってました。

小学生時分は、フィジカルで優劣が決まるぐらいにハッキリとした強者が讃えられる世界でしたし、そこで活躍をすることが生きがいでした。

「走り終わったあとにスカッとするからです!」

なんて模範解答をした記憶が、これを書いていて浮き上がってきたのだけれど、そんなことを言ってしまうぐらいに必死だったのだと納得した次第。


そんなぼくが走りはじめたのは、茂木健一郎さんがランニングをされていて、「一定のリズム」が入ってくることによって脳機能によい、みたいなことわ述べていたからだ。

とはいえ、当時のぼくはどうやるかを決めるよりも前に、どうしたら続けられるのかを考えた。

曲がりなりにも、スポーツトレーナーで仕事をしていた、なんてことも理由の一つな気がしますが、見窄(みすほ)らしいカラダでいたくなかったんですね。

だったら、選択肢は二つしかありません。

メチャクチャ動く

まったく食べない

この二つのうち、どちらかを選択しなければならないのではなく、適度にすればいいんです。けど、当時のぼくは中途半端になるのが嫌だった。

そう、嫌だったんですねぇ…

動く方を選択した訳です。

ただ、ただね。「うごく」でも「たべない」でも、継続しなきゃなりません。一回だけドカンと運動したところで、残るのは筋肉痛と関節痛のみですよ。

継続するためにぼくがしたこと。それは“満足しきらない”こと。

『いやー!やった!やってやったぞ!』

みたいに都度、自分のやったことを満足するようなことをせず、『今日はこの辺で勘弁しといてやるぜ』みたいにしておかかとを貫き通す訳です。

具体的にどうするのかといえば、時間で『1分』から始めて、徐々に満足する閾値が高くなってくるので、それに合わせて伸ばしていくようにしたのですね。

結果、何が起こったのかといえば「走らないと気持ち悪い」とか「カラダが劣化する」とか「体重・体脂肪が…」みたいな強迫観念に縛られるようになったのです。

やっぱり、キライです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!