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アカウント"運用"って言い方をしたら、ユーザーとの関係が薄弱化するんじゃないか

《名・ス他》ものをうまく働かせ使うこと。

「運用」を調べると上記のように出てきます。この意味をどう捉えるのかにもよるのかもしれませんが、ぼくの解釈としては随分と利己的で自らを中心に据えた物言いだな、と感じてしまいます。

こんな書き出しをしているのは、Twitterでこんなことを述べたからなのですが、運用って言葉を使用する場合には、自分たちだけで物事が完結していないといけないのかもしれないな、と感じたのがきっかけです。

会社や組織でソーシャルメディアと言う広い括りではなく、SNSという「意思の相互性を利用する」サービスで、アカウント(人格)を取得して関係をつくろうとする取り組みが普遍化してきた印象なのですが、それはSNS上で展開されているキャンペーンの数が圧倒的に増えたことを受けてもそうだし、何よりもTwitterならTwitter、FacebookならFacebook、InstagramならInstagramの公式発表で出されているアカウント数が軒並み増加傾向にあることを踏まえると、企業側としても無視できない・手を出さざるを得ないことは言うまでもありませんし、致し方がないことなのかもしれないな、と思うのです。

各サービスごとに複数のアカウントを保持できることを考慮すると、純粋なユーザー数としてカウントしていいのかと言う議論があることに対して異論はありません。なぜ、ぼくがそんな風に歯切れの悪い言い方をするのかといえば、利用する企業側として、従来通りの「広告媒体としてSNSを活用する」ことを考えているのであれば、少し見直した方が良いのではないかと言うことなんですね。

日本の2019年に出稿された広告費は、インターネット広告費(前年比119.7%の2兆1,048億円/ 全体の30.3%)がテレビメディアの広告費(1兆8,612億円/ 全体の26.8%)を上回ったことが話題になりましたが、そのインターネット広告費の内訳で、ソーシャルメディアへの広告費がインターネット広告費全体の29.5%にも登ることがわかっています。

なぜ、これほどまでの「広告費」がソーシャルメディアへ流れるのかといえば、理由は上記している通りで「ユーザー数が多いから」に他なりません。それ以外にはあろうはずもない。だって、過去の広告費で新聞やテレビへの出稿費が高かったのは、それだけのユーザーが閲覧・視聴すると考えられていたからで、それがインターネットへと移り、さらにSNSをはじめとしたソーシャルメディアへと遷移しただけです。

ソーシャルメディア全般もそうだし、特にSNSアカウントの開設については無料でもできるはずなのに、なぜにこれほどまでの資金が投入されるのか。答えはそう難しいものではなく、企業が代理店や運用の代行を依頼するからですが、ぼくはそれ自体を否定するつもりはありません。専門的な知識や経験を有していない人たちが、専門家にそれらの提供を求めるのはあって然るべきだし、その力を有効活用したいと願うことは「適切なコミュニケーションを図りたい」と考える人たちであれば、当然やるべきです。

ただ、広告的な意味付けでソーシャルメディアをはじめとしたSNSアカウントを利用するのであれば、再考した方がいいでしょう。もし、それを勧められるような状態になっているのだとしたら、勧めてくる人たちとの関係を再興した方がいいような気もしています。

ぼくはあくまでも、ソーシャルメディアやSNSは本質的な関係構築のために利用をされて欲しい、と一人のユーザーとしてTipsや攻略法に塗れた広告じみた企業アカウントを見たくはないだけなのですが、もし、そうなってしまった場合は、ユーザーとの関係性や文脈を毀損することになってしまうよね、と感じては悲しい気持ちになっている次第なのです。

短期的には成果として直結するようなことがあるかもしれませんが、文脈を毀損した瞬間から、その関係は「愛着」ではなく「お金」でしかつなぎ止められないことになっていくのではないでしょうか。それは誰にとっても悲しいことだと思うので、ぜひ、そうなって欲しくない気持ちと、そうならないようにアドバイスをできる人間でいたいと思いながら、書きました。

それでは、また。


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