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転職や副業は自分のキャラクター認知が不可欠

どうも、遠藤です。

「転職」や「副業」という言葉が社会的にもスムーズに「自然なものである」と認知され始めているようになったのはいつ頃からなのでしょうか。

ぼくがいわゆる社会人という言葉に当てはまるような労働契約や業務委託などを受けることによって金銭を得るように、もしくは得られるようになったのは21歳の頃からで、そこは西暦でいうと2006年でした。その頃は、いまだに転職や副業といった言葉はあるものの、活発に行われていたりしたのかといえば、徐々に増えてきていたと認識しています。

転職とか副業とかリクナビとかマイナビとか

Googleトレンドで「転職」と、「リクナビ」や「マイナビ」といった日本の中でも代表的な求人掲載媒体、それに「副業」を加えた検索の人気度を2004年から調べることができるので検索をしてみると、以下のようになりましたので、ぼくの認識と乖離しているのかといえば、決してそんなこともない...といえるかもしれません。

転職__リクナビ__マイナビ__副業__派遣_-_調べる_-_Google_トレンド

「転職」は常に一定の需要がありつつ増減を繰り返しているのですが、「リクナビ」は下落傾向にあるのと、「マイナビ」も直近1、2年は検索人気はリクナビを上回っているものの総数として多いのかといえば......といった状況ですし、そんな中で「副業」がゆーっくりと需要を伸ばし続けてきています。

同時に、リクナビやマイナビに限らず、類似サービス(転職支援サービス)が増えてきたこともそうですし、(同一労働同一賃金の問題は置いておいて)派遣労働によって「属さない働き方」が許される風潮になってきたことも追い風となり、特に2011年の東日本大震災以降では転職や副業に対する心理的な敷居の高さが従来よりも低くなったのではないかと予測しています。

ソーシャルメディア・SNSの台頭で認識の変化を助長

また、その風潮の裏には少なからずソーシャルメディアをはじめとしたSNSの普及が影響を及ぼしているのは疑い様のない事実ではあるのですが、「Twitter転職」といった言葉も生まれるほどに転職に関する認識がフランクになっていることも実感しています。

そんな社会認識が改められることを、社会の一員として実感してい「履歴書るがために、ぼくは「履歴書事態を改めたほうがいいのではないか」と思っていることがああります。

20代の半ばぐらい(2011年頃)までは必要だろうと思っていたのですが、それ以降は履歴書が不要なものだと認識しています。否定する物言いになっているのは重々承知なのですが、一向に存在意義が見出せなくなりました。

ちなみに、ぼくがこんな風に書いていることは採用実務にあたる方々の仕事を軽々(けいけい)にみているのではなく、もっと管理なり何なりが改善できる可能性があるんじゃないかなぁ、と思っているのが根本です。

履歴書を取得する理由として取得した書類の保管に関する法律に基づいてなのかもしれませんが、労働基準法第109条には「雇入れ又は退職に関する書類(雇用契約書、解雇通知など)を裁定3年は保管しなければならない」と記載されておりますが、履歴書でなければならないとは記載されていません。

履歴書の形

少し調べてみたら、履歴書が現在の形になったのは1953年(JIS認証された年)だということがわかりました。戦前にもテンプレートみたいなものがあったそうで、そこには兵役欄もあったと。

ただ、基本的には戸籍情報を記載する用紙みたいなものだったみたい。

実際的に考えてみて、年齢や性別、もっといえば顔写真まで貼り付けることを求めるのって「そもそも人種差別的な視点がありますよね」という感想を抱きつつも、それで書類審査における優劣の一つとしてしまうことって...なぁ...と思ってしまいます。

そんなことを考えていると、ユニリーバ・ジャパンが履歴書から顔写真、性別からファーストネームの記入まで不要にする、と大々的に謳う新聞広告を2020年3月に出してました。

もし、仮にですが、このユニリーバの動きが社会認識として一般化するとなると、ソーシャルメディアやSNSを利用してキャラクターを認知してもらうことによって自身が力を発揮する場所を獲得するための諸条件を整えやすくなります。

整えやすくはなるのですが、たとえソーシャルメディアやSNSを利用してなかったとしても、キャラクターを認知してくれる、認知される様な活動を積極的に行っているのであれば、必然的に自身が望む場所での就業や契約がとりやすくなることは、これまでの世界線と何ら変わることはないことです。

ソーシャルメディアやSNSを駆使することによって、手の届く範囲は広くなったかもしれませんが、結局、手が届いたとしても内実が伴わない(キャラクターがない=魅力がない)状態では、取捨選択でいうと捨てられる側になってしまいますから、常にオープンにする・できる態度こそ、多様な働き方を望む以上は必須要件かな、と。

もう一つ言うならば、キャラクターというのは「自身で設定するもの」ではありますが、同時に「他者からの見え方」を反映させるものでもあるので、自身で設定するものが他者から理解を得られない様なものだった場合には毛嫌いされてしまうことも往々にしてあるので注意が必要かな、と。

戯言でした!

それでは、また。


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