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ぼくと共に暮らす子どもがTwitterをはじめたら

我が家の長男は6歳。

スマートフォンを保持しているわけではないのですが、自宅にあるiPod touchを手にしては「自分のケータイ♪」と喜びながら扱ってます。(ケータイ、という言い方は母親である妻さんがiPhoneを「ケータイ」と呼称しているから。それに「スマートフォン」とか「スマホ」って語彙的に言いづらいんでしょうね。)

まだもう少し先の話なのかもしれませんが、最近、ちょくちょく「自分の息子がTwitterはじめたら、どんな気分になるんだろう」とか思うんですよね。いざいざはじめるとしてもワザワザ話しかけては来ないかもしれませんし、むしろ、Twitterをはじめるとか何とかって前に、検索画面で「遠藤涼介」と指名検索をし、noteなり何なりを手当たり次第に読み漁るのかもしれません。

いずれにしても、ぼくは彼、もしくは彼ら(長男を含めた子どもたち)に対して、実名・顔出しでやっている以上は恥ずかしいことをいえなくなるわけですが、それは別にこれまでも意識的に取り組んでいることなので、そうそう難しいことではありません。

逆に真剣に取り組んでいるのにも関わらず、恥ずかしいぐらいに無知だったり、認識足らずなことはあろうかと思いますが、それは隠しようがありませんので仕方ありません。諦めましょう。研鑽を積むようにいたしますです。はい。

彼らから相談があった場合、ぼくはどんな風に答えるのかなぁ...と自分自身で気になってきているので、思考実験的に考えてみようと思います。(サービスはTwitterで想定しますが、そこは便宜上なので、将来的には別のサービスがあろうことも想定してます。)

やって(はじめて)いい?

そもそも、こんな質問は来ることはないのだと思いますが、仮に、もし仮に「はじめていいのかどうか」を質問されたのだとしたら、何と答えるのか。

そんなもの「いい」というに決まっています。むしろ、そんな場所へ飛び込まずに生活をする方が困難であろうことは想像に難くありません。

ぼくの世代はインターネットが世の中に普及しはじめ、そのおかげで生活が便利になっていく実感を得てきました。手紙ではなくメールで物理的に離れている相手に対して瞬間的にメッセージを届けることができるようになったり、ネットを介した買い物ができるようになったり。

何よりもmixiをはじめとしたSNSを介して、コミュニケーションの領域が一気に広がっていくことを感じながら成人になり、中年になってきたのです。

そんな立場にいながら、彼らに対して「いや、ダメだ」といえるはずがありません。むしろ、何故やらないのかを聞くぐらいな心持ちでおります。

何を書いたらいい?

Twitterを前提にしているので、Twitterの話をすれば「好きに書け」です。

ただ、「好きなこと」は自分が好意的に捉えている、もしくは人から好意的に受け止められると想定されるようなこと、です。自分勝手で自己中心的ないみでの好き勝手に書けばいい、ではありません。

ぼくや妻さんをはじめ、彼らにも友人がいるでしょうし、尊敬する人も出てくるかもしれません。その人たちにどう受け取られるのかを"想像"した上で書き込むようにするべきでしょうし、リアルな場でできない口調や姿勢を、直接的に顔が見えないからといって、ネット空間でとっていいことにはなりません。

リアルな生活の中で「いっていいこと」と「いってはダメなこと」がある以上、ネットの世界でいっていいことにはなりませんし、変わることはありません。丁寧に考えて、真剣に向き合ってこそ、ネットの世界での発言権が与えられるのだ、とぼくは考えています。

表情や態度が見えないからこそ、より丁寧に、真剣に、深刻に自分が使用する言葉を選ぶ必要があるのです。

トラブったんだけど...

ありそうです。

どんなトラブルが生じたのか。それはいつの話で、どんな経緯なのか。相手があることなのか。相手がいるのであれば、それは君とはどういう関係なのか。何が発端で起こっていて、相手の言い分は何なのか。

ザッと聞いただけではわかりませんから、丁寧なヒアリングをするような気がしますし、情報の整理をするように動くのだと思います。場合によっては、自分の知人や友人を頼るような場面も出てくるのかもしれません。

ネット上のトラブルは、上で書いたような真摯な態度でない場合に起こるものであり、自分の意見を貫き通すような態度ではなく、ちょっと日和(ひよ)ってしまうような要素や欠片(カケラ)があったのでしょうし、それを自覚してもいたのでしょう。

相手がある状態で、尚且つ、こちらが悪いのであれば真摯に言葉を選びながら、丁寧に謝罪をする必要があるでしょうし、相手に不備があるのであれば、それを前提にして、やはり丁寧に、真摯に向き合うべきです。

いずれにしても、自分自身の不遜な態度を改め、情報に対して真摯に向き合うことをするべきですし、そこに対して時間を共有しつつ、ぼく自身の態度で示すようなことになるのかもしれません。

ちょっと、この辺で...

書いてみると、案外、出てくるもんですね......思わず、長くなりそうなので、この辺で切り上げます。

ただ、子どもたちがネットともっと密接に関わるような機会は近々、来るものだと思いますし、それに対して自分の態度や姿勢を整理しておくことは必要だよなぁ、とボンヤリですが思った次第です。

何よりも、彼らに対して恥ずかしい態度や姿勢で、ぼく自身が臨まないこと。でしょうか。

それでは、また。


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