
SNSを活用したマーケティングは情報の取捨選択を補助すること...な気がする
毎回のことながら僕が書くことは僕が揃えた前提条件の中で書くことであり、その調査能力の低さは常に僕は驚愕している。だから、そんなことを前提にしてでも読んでくれる優しい方のみ、これを読み進めて欲しい。
どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
今回のテーマはSNSを利用した企業の成長支援をおこなっているいいたかさん(@yutaiitaka)と池田紀行さん(@ikedanoriyuki)のご両名が対談・議論するってコンテンツを読んだことから想起して書きはじめた。
おそらく、インターネット関連の業界、業種、職種に関わる方々で両名の名前を知らない人間はほぼいないだろう。いたとしても、これから情報を調べる過程で行き当たる人たちだろうから覚えておいて損はないはずである。
蛇足だが、過去に『ファンをマーケティングする』なんて言葉に違和感を覚えたことから #ひとり会議 と題してnoteを書いた。
それ以外に、そもそもマーケティングってなんだ、みたいな心持ちになったことから簡単に変遷を辿るようなnoteも書いており、どれだけ暇なのかと妻につっこまれたのはいい思い出だ。
インターネット上の「情報」への向き合い方は
現在、あらゆる情報がネット上には散乱している。いや、正確にいえば「世の中のあらゆる情報が収集しやすくなった」ため「散乱しているように見受けられる」。
個人がメディア化した、などと耳障りのいいカッコいい表現をするつもりはないが、ソーシャルメディアの普及に伴い誰でも端末と回線にアクセスが可能な状態であれば「情報」を発信できる状態になっているのが現代だ。
インターネットの普及以後、再三あらゆる箇所で指摘されてきていることだが、インターネット上にある有象無象に触れる上では相応の|情報を判別できる能力《Internet literacy(インターネット・リテラシー)》 が必要である。
なぜなら、旧来的なメディアだとされるマスメディア(新聞・TV等)で掲載・発信・取り扱われる情報は根本的にFact Check(社会に広がる情報の真偽検証を行うこと)が為されていることが前提となって発信される。(全ての情報においてそうだと言い切ることはできない部分があることは理解している)
しかし、インターネット上の情報は『個人が好き勝手に発信できる』ため、真偽検証がなされていない情報も出回る。検証が必要な情報が流通しやすくなってしまっているにもかかわらず、受け手側が検証する姿勢や態度を持たないことによって情報に踊らされる人が生まれるのだ。
つまり、誤情報やデマによって傷つけられてしまう人が後をたたないのは上で述べたインターネットリテラシーが低いことの証左であるといえてしまう。そのため、SNSもインターネットに接続して利用することが前提となるため同様の姿勢や態度、能力が必要となることは言うまでもない。
SNSがサービス・商材のファクトチェックを代替してくれるか
冒頭の両名が述べていることは非常に高度でレベルの高い内容だと感じたのだが、同時に僕の中で一つの事柄が疑問が浮かんでくる。
それは情報のファクトチェックをSNSで代替しようとしている、もしくは同様の機能を期待しているのではないかということだ。
インフルエンサーマーケティングと呼ばれるインターネット上でフォロワーを多く抱えるネット上の著名人に商品紹介等を依頼し、そのファンに向けて発信をしてもらう行為全般が隆盛を誇り、今でもネット上でサービスや商材を認知してもらう際に取り組む発信方法として選択肢の一つになっている。
いってしまえば、インフルエンサーの後ろにいるフォロワーに向けてインフルエンサーを利用して翻訳・通訳をしてもらう行為なわけだが、ここでインフルエンサーに「サービスや商材の検証」することによって生活者側のファクトチェックコストを低減させることができる。
これによってインフルエンサーの後ろにいるファンたちは「サービス・商材に関する正誤の検証」と言う未確定的な情報に対し前向きになれる。つまり購買行為等の金銭の支払いに関する心理的な敷居が低くなる。
しかし、ここで前提となるのはサービスや商材が「適切な質」であることだ。
金銭的価値と実用的価値が適切であるからこそ、インフルエンサーはウソや誤情報を出さずに済む。それがないサービスや商材を扱うことはインフルエンサー側にも大きなリスクであり、それをインフルエンサー側は検証する義務を要する。
これが機能していない場合にステルスマーケティングと呼ばれる「広告であることを明記せずに非営利であるはずの好意や高評価を装うこと」になる。俗的な言い方をすれば「サクラ」や「やらせ」だ。
こうなることでインフルエンサーもサービスや商材の提供者も生活者からの評価を一気に低下させることになり、その後の営業活動に支障をきたす。
ここれから言えることは、いわゆる「品位」のようなものがインターネット上で求められる時代なのだということだろう。
根本的に情報の検証は自分で行うべき
しかし、根本的なことを言えば、あらゆる情報の検証や確認は情報の取得者や受取手がやるべきことである。
他人に頼ってばかりではいつまで経っても情報の正誤判断ができないままだ。それでいいのかと問われれば「いいわけがない」と回答する人は多いだろうが、行動にまで反映させることができているのかどうかは甚だ疑問な部分がある。
だからこそ、インターネット上で「適切なサービスや商材」が売れるようにすることで日本のインターネット資本主義を発展させよう、と言うのが冒頭の両名が対談したことの本意なのではないか。
適切なサービスや商材が流通し、金銭的な売上を高められ、無駄な経費が削減されることによって利益を上げられるようになれば、不適切なサービスや商材を提供する事業者は淘汰される。
結果、日本の就労環境や条件がよくなり資産的にも精神的にも富める人たちが増えることが期待できる。そこまで期待しているのかどうかは正直なところわからないものの、彼らが目指すべき世界線の一つとして考えられる世界であることに違いはなさそうだ。
そんな世界線を実現させるためにも、ネットに触れる人たちはリテラシーを高める努力をすべきであり、それを助長する組織や個人が増えてくるべきである。
僕自身もその一人でありたいし、そうしていくことが共に暮らす子どもたちの未来が明るくなるはずであると考えている。
ではでは。
えんどう
僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。お得だ。
