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育児というか子どもとの生活を「男にできることなんてない」と諦めるな

どうも、(おはよう。こんにちは。こんばんは。)えんどうです。

こむぎさん(@CR7nWHQ88pTvqcJ)の友人(イラストレーター)が、男性の育児休暇取得した際に「気づいこと」としてこむぎさんのご主人視点での漫画で描かれていまして、ぼくのタイムラインにも流れてきました。

内容は、育児休暇を取る前に会社の同僚や上司から「男にできることなんてない」とか「母親だからできるんだよ」と諭され、「そんなものなのか」と納得していたけれど、実際にやってみるとまったくそんなことはなかった、むしろ「やらないことの言い訳」をしている人たちなんだと気づいてしまうというものです。

今回の雑談は、小麦さんの描いた漫画への感想と、「やらないことの言い訳」を堂々と述べてしまう令和3年ではなく昭和96年を生きる男性たちへの書簡です。

漫画の感想と我が家について

四コマ漫画で描かれていることもあり、パッと理解できることからリプライ(返信)欄や引用RTを覗いてみると概ね好意的な投稿が多く、男性だろうが女性だろうが関係なく、ご主人の気づきを支援するアカウントが多いのが印象的です。

中には、ご自身の家庭の課題なのか「見るだけなら楽なんだよ」と愚痴めいた内容を書かれているものもありましたが、その愚痴をこむぎさんに向けても解決はしないだろうけれど、世の中には子どもとの生活というよりもパートナーとの関係に鬱憤がたまっている方がいらっしゃることも窺い知れました。

ぼく自身、この漫画をぱっと見て思ったのは「当然」どころか「基準値」だろうってことでしょうか。

他の家庭の話は知りませんが、我が家においては漫画で触れているような内容を家庭内で担当することは当然の話であって、やらないなどという選択肢は存在しません。むしろ、そんなことがまかり通ってしまう状態は家庭内不和が発生しており、一緒に生活をするべきではない雰囲気を醸し出してしまっている危険な状態だと言えます。

ぼくが「残業なんてできると思うなよ」と常々言われていることからもわかる通り、我が家は非常に平穏な家庭です。

三名のかわいい子どもたちとの時間は有限で、それを楽しむ時間を設けようと必死にならずにいつ必死になるのか。そんな心持ちであります。

家事・炊事を一方にだけ押し付けることをしようと思っていた時期もあるのかもしれませんが、少なくとも一緒に生活をする者同士、助けあわなくては関係にヒビが入ってしまいます。当然です。

自分が心地よく家庭内で過ごす時間が欲しいのであれば、押し付けることなんて選択肢として持つべきではないのです。

自身の振り返り

養育者としての自覚というか、父親の自覚というかを持てているのかというと、正直なところわかりません。何を持って「父親の自覚」なのかってことを過去に自己問答したのですが、ぼくの結論としては「子どもに対する態度を考え続けること」がそれなのかもしれないなぁ...と朧げに思っている次第です。

正直、わかりません。

子どもとの生活も7年を超え、三名の子どもたちと生活をしていますが、まったく「父親の自覚」なんてものがわからないことに変わりありません。おそらく、このままなんだろうとも考えていて、無理にわかろうとする必要もないのかな、とも。

結局、今回の漫画で描かれているのって、こむぎさんとご主人っていう二人の関係の話で、子どもとの関係については触れられていないわけです。つまり、子どもとの生活で大切になるのはパートナーとの相互理解というか相互認識みたいなものだろうってことなのです。

そういう意味では令和3年ではなく昭和96年を生きている、「子育て諦め組」な人たちは自分がやらない、できないことの言い訳を他人(パートナー)になすりつけることで溜飲を下げているわけですから、非難されても仕方ありません。

仕事でそんなことをしようものなら鬼の形相で叱責をするでしょうが、自分の過程のこととなると途端に目を背けるってのは、ある意味では大したものです。

そんなこと、ぼくにはとてもできません。

仕事はきっちりとするのに

仕事をできる人間だけど家庭関係は崩壊してるって人に対して信頼を置けるのかっていうと、ぼくは置けません。なぜなら、家庭のこともきちんと関係を構築できないのに何を偉そうに...みたいになるじゃないですか。

大前提として家庭生活ってのは人の営みにおける根幹だと考えているからなのか、ぼくが子どもと生活するようになり、妻さんにご迷惑をおかけしながらも共に生活をしていただける環境にいるからなのかはわかりませんが、家庭は人生における重要な過程なのです。

仕事だろうが趣味だろうが関係なく、自身の営みを行うために必要で重要な経るべき経路であって、それを蔑ろにしていいと答える人に共に仕事をする人に尊重や尊敬を抱くことなんてできるわけがありません。

仕事をきっちりするのであれば、自身の家庭における生活を見直してみるのも大事なことでしょう。ただ、それに向き不向きはあることは承知しています。

ぼくは細かい点を気にすることが非常に苦手ですから、ケアレスミスを非常によくしてしまいます。ここでnoteを書いていても、誤字や脱字などは日常茶飯事。どうしようもなく情けないほどに細かい部分に木を配ることが苦手なのです。

だから、家族の中で起こる細かい事柄も気にしないのでしょうね。よく妻さんに「よく、そんなことも気にしないで生きていられるね」と言われます。

家庭だろうが、仕事だろうが、結局自分って人間の見せる面なんて変わらないのだろうと思っているのですが、それを隠して演じることが幸福度を上げてくれるのかというとそうでもないだろう、と。

ぼくはできる範囲のことはできる人間でいたいのだと思う側なので、これからも家庭でも仕事でも「できる範囲内のこと」に責任持ってやっていきたい。そう思うので「〇〇なんかにできることはない」なんて言い訳を用意するような人間ではいないようにしたいと思いますです。はい。

ではでは。

えんどう

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