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妻がインフルエンザに罹患(りかん)したんだけど、息子たちとの時間が嬉しくてたまらない。

我が家的には悲報なのですが、我が家の妻がインフルエンザを罹患してしまいました。

前日(木曜日)に次男が熱発して保育園を午後から休まざるを得なかったのですが、それに合わせて午後から職場を抜けて看病をしてくれた妻が、その夜から熱発しはじめ、翌朝には布団から起き上がれない状態になっていました。

それを見ていたのあり、新たにぼくが所属することになったシーエスレポーターズでは「在宅勤務が可能」なため、明らかに「風邪とは異なる状態」である妻にインフルエンザの検査を受けてもらおうと思い、午後から在宅勤務に。

結果は、見事にインフルエンザ(A型だったそう)で陽性反応。

予防接種を受けていたにもかかわらずの罹患だったため、まぁ「あるある」だとは理解していながらも、彼女としては肉体的にも精神的にもダメージを受けることに。

となると、自宅内で隔離しなければなりませんよね。当然です。

自宅内に隔離できる部屋は一つ。幾年か経過した後に「ぼくと妻だけの寝室」になる予定の、現状は「(ぼくと妻の洋服を置いてあるだけの)利用していない部屋」。

そこへ彼女を隔離した上で、部屋を封鎖し(とはいえ、ただ閉まっているだけんですけどね!)、子どもたちとの接触点を一切なくしました。それが先に紹介したツイートの時間なわけです。

自宅にいるとはいえ「勤務中」。ですが、次男の"看病もしながら"なので割とグチャグチャしてましたが、勤務時間を終え、長男と三男を保育園へ迎えに行かなければなりません。

ただ、そろそろ4歳になろうかという次男を、自宅にいるとはいえ「隔離している妻」に任せるわけには行きませんので、保育園へ同行してもらう必要があります。

「体調不良だから」と自らマスクをつけだした次男の姿を片目に、車のエンジンを起動させるために外へ出て、戻ってきたぼくが目にしたのは目の部分をマスクに覆いかぶせられている次男の姿

それだけではなく、彼はあろうことか視界を遮られている、その状況で靴と履こうと、おまけに上着を着ようとしはじめたのです。無論、うまく行くわけがありません。

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『あれ?なんか見えない......』とつぶやきながら、彼は静かに口元へマスクを移動させました。たまりませんね、ホント。そんな彼が大好きです。

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長男と三男を保育園の中へ迎えに行く際には、車の中で静かに待っていてくれた次男。マスクをしている次男に対して長男が、「マスクしてるの、大丈夫?」と声をかけます。なんて優しいのだ、君は。

そこで母親が「隔離しなければならない状況」である旨を伝えました。

長男(6歳)は粛々と受け止めている様子。三男(1歳9ヶ月)やっと言葉が出始めた程度ですから、理解していません。次男は隔離される様子をマジマジと見ていたため、覚悟をしていた様子。

もう彼らの大好きな母親はいません。(誇張的な表現)

彼らが頼れるのは、ぼくしかいません。

結果、ぼく的には非常に満足感の高い時間になっています。

「父親あるある」な気がしているのですが、ぼく(父親)と妻(母親)が同じ空間にいる場合、我が家は"ほぼ"妻(母親)を頼ります。無論、ぼくは読み聞かせなどを真剣に力を込めてやるため、絵本や本を読むのを口実にして寄せ集める機会はありますが、最終的には母親のもとへ駆け寄っていきます。

ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、基本的に彼らが気にするのは母親の存在であり、母親の影であり、母性なのです。

それがこの日からしばらくは頼れない状況なわけで、彼らにとってみたら案外とシンドいのかもしれないなぁ......。それでヘタれてしまうかもしれないなぁ......。なんて具合に心配をしていたのですよ。ぼくは。

それがどうですか。

これまで羨ましく見ていた「母親を頼る状況」が、ぼくに降りかかってくるのです。

「お、なんだ、この状況は......!あ、あまり経験がない状況だぞ!」と、こころの中で大声で叫びましたよ。

嬉しくてね!

もう彼らの中では「母親」はいません。(誇張的な表現②)

もちろん、ぼくと過ごす中でも「いい時」ばかりではありませんから、ぼくの中でのタイミングが彼らの誰かと合わない時間だってありますし、それが理由でぼくの態度が少し乱暴というか雑というか......いい加減になりそうなことだってあります。

「あぁ、彼女(妻)は、これを一手に引き受けていたんだな。」と思うと、余計にうらやましい上に激しく嫉妬するのですが、これまで彼女の口から出て来ていたのは「どうして、いつも私に"だけ"来るの?そこに暇そうな人がいるじゃない!」です。

いや、わかる。わかりますよ。

確かにね、大人が二人いて、子どもが三人だから、ただでさえ数的不利な状況の中で、もう片方に行かずに自分にだけ要望や希望をひたすらに出されたら、そう言いたくもなるだろう。それはわかります。

だがな、妻よ。

「暇そうな"人"」はないだろう......。そう思ってました。。そう思っていたからこそ、ぼくは彼女に嫉妬していたし、羨望の眼差しを向けていたのです。

それがどうですか。

彼女を自宅内とはいえ隔離し、彼らとの接触点を一切なくしたことで、彼らは諦め、ぼくに頼らざるを得ない。だからと言って「仕方なく」なんて具合に明らかにふてくされた態度で接してくるのかといえば、そんなこともありません。

彼らは純粋に、自分の感情や行動を受け止めてくれる存在を欲していて、それを叶えらえるのは「現実的に1名」。そう、ぼくしかいないのです。

無論、大変は大変ですよ。

大人が二人いれば、無理やりにでも子どもたちを分散させられます。それによって一人にかかる負荷を無くすことはできなくとも、軽減することはできますから。今まではそうしてきたんです。そうすることぐらいしかできないと思っていたんです。

それが、いまは違う!断じて違うのです!

すべてをぼくだけで受け止める必要があって、それはもちろん大変なのです。そして、彼女が「目の前に暇そうな成人男性がいる」と思わざるを得なかった気持ちも、この状況を経験すれば、なんとなく理解はできます。

ただ、そう、ただ、少なく見積もっても最高な気分なのですよ。

さて、今日はどうするかな!

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