主人公と結び付けられたナビゲーターの存在〜劇場版ヴァイオレット エヴァーガーデン〜(ネタバレ含む)

  劇場版ヴァイオレット エヴァーガーデンを観た。暁佳奈原作の京都アニメーション作品である。netflixでは全13話のテレビ版と、その追加話数にカウントされるスペシャル、映画ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝- 永遠と自動手記人形 -を視聴できる。

 感想としては、第一声が「この劇場版が締め括りで良かった」と心から胸を撫で下ろすようなものであったが、そういう感情に至るのはもちろんいくつもの要因がある。それは映像が綺麗であるとか、劇伴が大変丁寧であるというのももちろん、やはりヴァイオレットとギルベルト少佐の再会に焦点が当たるのはそういう感情に至らしめる核心である。ここではしかし、ヴァイオレットが手紙を代筆したクラーラの娘にあたるアンの、孫であるデイジーに焦点を当てる。

 

 テレビ版10話での死期が近いクラーラの代筆をしたヴァイオレットのストーリーにおいて、クラーラがもう死ぬ事、そしてアンに向けての代筆を依頼しているという筋書き自体は相当早くから視聴者は想像できたことであろうが、それでもアンに50年分の手紙を託し、その死後、アンの成長を、アンに宛てられた手紙と共に、アンが子をもうけるまで一時的にヴァイオレットが活躍した時代から、時系列を飛躍させて描くあり方はとても素敵だった。今回の劇場版の冒頭では、その孫のデイジーが半ばナビゲーターのように、この物語を彩る。ナビゲーターというのは、私たち観客にとってのナビゲーターであり、作中において、観客の視点を同化する事ができる存在であるという事だ。アンのストーリーについては、その顛末を私たちはテレビ版で知っていて、ヴァイオレットとデイジーを繋ぐ過去の物語は、了解しているのである。しかし、デイジーが生きる時代については、何も了解していない。

 時代が変われば街並みも変わる。デイジーが生きる時代は、ライデンシャフトリヒの街に、エッフェル塔のような見た目をした電波塔は既に完成し、道路を自動車が走り、自動手記人形はおろか、手紙自体がかつてのあり様を失っていた。物語の冒頭、デイジーはアンの死後、アンに宛てられた曽祖母からの手紙を見つけ、当時名を馳せた自動手記人形として、ヴァイオレットの存在を知る。そしてヴァイオレットの手がかりを求めて、両親の元を飛び出して旅に出た。

 私たちはこうして旅に出たデイジーに、デイジーが生きる時代のヴァイオレットの手がかりを求めて、視点を託す。デイジーが生きる時代は、ヴァイオレットが自動手記人形として活躍した時代から数十年下っている。私たちは、それでも、彼女のこれまでの不遇を知っているからこそ、ヴァイオレットがどこかで無事であるようにと、幸せであるようにと願っている。ひょっとすれば、そこにギルベルトは(戦争の時点でもそれ以外であっても)いないのかもしれない。ヴァイオレットだっていないのかもしれない。それでもただ、彼女がこれまで結び付けて来た無数の縁を思い、数十年経っても幸せであるように願う。そしてその手がかりは、その不遇な過去も、少佐との関わりも知らないが、今の時代を生き、ヴァイオレットをひたすらに求めるデイジーの手に委ねられている。

 旅の中で、手がかりを得たデイジーは、ライデンシャフトリヒのC.H郵便社の建物に辿り着く。そこは時代の流れの結末として、自動手記人形によるサービス、郵便業務の役割を終え、かつてのそうした仕事を紹介する記念館として開かれていた。夕暮れ時、デイジーの他に、建物を訪れる人もいない。デイジーはそこで、自分の祖母に宛てた手紙を代筆した人物が確かにいる事を確信する。この建物で、このタイプライターで、古びた写真の中の同僚達と、手紙を書き、手紙を届けた事を知るのである。50年間、祖母に宛てた手紙を届けた事を知るのである。

 デイジーはその後、建物で案内役をするお婆さんから話を伺う。かつてC.H郵便社で働いていた女性である。その中で、ヴァイオレットが、エカルテ島の記念切手のモチーフになっている事を知る。観客はここで、深く安堵しただろう。私たちは既に、エカルテ島がどのような島であるかを知っている。これまでは、ヴァイオレットが活躍した時代において私たちはひたすらに幸せを願い、ギルベルトとの顛末を見届けて来たが、その未来についても、幸あるものであった事が察する事ができた瞬間である。

 デイジーはエカルテ島を訪れ、ヴァイオレットが自動手記人形として郵便局に勤め、島民に多大なる貢献をしてきた事を郵便局員から聞く。それが記念切手の由縁であった。ヴァイオレットとギルベルトがデイジーの時代に息災であるかはデイジーは明確に突き止めている訳ではない。ただヴァイオレットのこれまでを見届けてきた観客にとっては、彼女がこの島で、これまでのように島民の思いがこもった手紙を預かり、島が有数の手紙取扱量になるまで実直に仕事をし、そしてギルベルトと過ごす日々を送ることが出来た事を心から嬉しく思えた場面であるはずだ。彼女は恐らくその後も幸せであったと、確かに知ることが出来たからだ。それはデイジーが、ヴァイオレットとの縁を持ち、今を生きるナビゲーターとして、ヴァイオレットを求めた結果である。

 私はこの構成について、ジブリ映画の思い出のマーニー(2014)が脳裏をよぎった。思い出のマーニーでは、今を生きる杏奈が、釧路の保養地に移ってから出会ったマーニーとの物語である。杏奈は度々マーニーとパーティーに参加したり、ボートに乗りながら話したり、サイロで恐ろしい出来事に遭遇したり、色々と関わっていたのだが、マーニーが生きていた時代は実はかなり時間を遡るものであった事を後に知る。物語の終盤、マーニーの手がかりを知る久子に会い、マーニーの不遇な生涯を知る。そして、自分がマーニーの孫であることも。この物語においても、杏奈は、過去を断片的に知った我々に対して、杏奈が生きる今の時代から見たマーニーの生涯を知り得る上での、ナビゲーター役を終盤果たしている。そこに我々は、マーニーが過ごした日々の不遇さを思い、しかしどこかでその生涯に、幸せがあるようにと願う。マーニーは孫の杏奈に晩年、無償の愛を捧げた。自分の子が味わった悲惨な目を、この子に遭わせないという誓いを抱きながら。マーニーが幸せであったとは断言出来ない。けれでも、一瞬でもそう感じた瞬間があったとは思う。マーニーが杏奈に託したものを、少なくとも私たちはナビゲーターの杏奈を通して受け取ることが出来た。こうした二つの時系列を繋ぐナビゲーターの役割は、私たちに時間を超えた感慨深さを与える。人の生涯に直結するからである。ある人の生涯を走馬灯のように振り返らせる、思いを馳せる様仕向けるナビゲーターだからできることである。

 最後に、アンが受け取った50年分の手紙に思いを馳せる。テレビ版10話、成人したアン、そして子供をもうけたアンの生きる時代にヴァイオレットとギルベルトは、エカルテ島で暮らしていたのだろう。ヴァイオレットが繋いだ縁は、島での生活を送る中でも、常に誰かに力を与え続けていた。そして島の中でも、島民の無数の縁を繋ぎ続ける。


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