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第8回④ 三宅 琢先生 “3足のわらじ”を履く医師の、意外な3つの専門分野とは? 

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

眼科医・産業医・社会医として、なんと“3足のわらじ”で精力的に活動する三宅琢先生。モットーに「医師免許を持ってマルチフィールドで活躍する働き方を通して、医療をより自由で楽しい存在に昇華する」を掲げるその生き方や背景について、インタビューでひも解いていく。

三宅 琢先生
働く人々のメンタルヘルスケアから人材育成まで職場で起こる課題の解決やヘルスリテラシー向上の教育を行う産業医。
ICTを活用した障がい者への情報支援や病院デザインのコンセプトディレクターを務めるなど、医療の領域を超えた情報障がい者への情報処方を行う眼科医。
対話を軸として社会課題を解決する社会処方を行う社会医。三つのスタイルで人が豊かに生きるためのwell-beingに関する哲学教育を行う医師、活動家。

「3足のわらじ」医師の
意外な専門分野は?

 三宅先生の専門は、一見関わりの薄い「眼科」「産業保健」「社会活動」の3分野にわたる。

 まず眼科医として。眼科医といっても、ただ単に臨床現場で患者さんを診るだけではなく、むしろ活動の場は院外が多い。目の不自由な方の生活を医師の視点から支えるべく、病院のデザインディレクターや運営、患者さんの生活を楽しくするエンターテイメントの“処方”などを行っている。

 また、眼科医では珍しく産業医の顔も持つ。リモートワークでのセルフケア・メンタルケアの方法などについて企業での健康リテラシー教育を行うほか、障がいなどで労働に対して困難がある人への支援も精力的に取り組んでいる。

 そして、社会医として貧困・教育格差・自殺・うつなどの社会課題を解決に導くための活動も行っている。社会医とは、社会的課題に対し、医療以外の方法で“処方箋”を出す医師のことである。「遊べる病院」の建築、ダイバーシティ・インクルーシブをテーマにした人材紹介、ウェルビーイングに関するイベント開催など、さまざまなアプローチを通じて、社会課題の解決に向けた取り組みを進めている。

 今でこそ「3足のわらじ」を履き、社会に目を向け幅広く活動している三宅先生だが、現在の働き方にたどり着くまでには紆余曲折の経験があった。

若手眼科医が直面した
「ケアとキュア」の課題

 「眼科医になろうと思ったきっかけは、高校の同級生が目の難治性の病気を宣告され、自ら命を絶ってしまったことなんです。」

 まず三宅先生へ医師としての原点を尋ねると、真剣な面持ちでこのように答えてくれた。目が見えなくなるかもしれないという将来に悲観し、生きる希望を失ってしまった友人。その友人の病気を治せるものにしたいとの思いから、医師の道、そして眼科に進むことを決意した。

 しかし、眼科医になって直面したのは「十数年が経った現在もその病気の治療法は見つかっていない」という現実だった。ある時、眼科領域の抱える問題に気づいたという。

 「治らない病気に対するケアを見たとき、眼科領域では『ケアとキュアの分断』があると感じました。たとえば外科領域では、手術や化学療法などのがん治療と並行しつつ、緩和ケアやスピリチュアルケアを行う、というように、ケアとキュアがシームレスに連携しています。

 しかし眼科では『病気が治るか治らないか』が重視されている感覚があったんです。友人が目の病気の宣告に絶望して命を絶ってしまったのも、この分断が生んだ結果なのではないか、と感じるようになりました。」

 三宅先生は当時、眼科医6年目。「自分は外科手術があまり得意ではない」とも感じており、キャリアの方向転換を考えることも増えていた時期だった。

ミスマッチ感に悩む医師
キャリア転換の決定打は

 外科手術へのミスマッチ感や、自分が治したかった病気が治らない絶望感を抱く中で、キャリア転換の決定打となったのが東日本大震災だった。常識が簡単に変わり、多くの人生が一瞬で変えられてしまう様子を目の当たりにする中で、自分の想いの原点に気づいたという。

 「同級生が亡くなった直後に、『パッチ・アダムス』という映画を見て、救われた気持ちになったことを思い出したんです。」

 映画「パッチ・アダムス」では、主人公(本名ハンター・ドーティ・アダムス氏の実在医師がモデル)が「ホスピタル・クラウン(臨床道化師)」として、演技や道化、そして医療を通じて患者を“Care”していく。医師としての“Cure”と、さまざまな活動を通じての“Care”で、多くの人を救っていく物語だ。

 「自分は外科医になりたかったわけではなくて、パッチ・アダムスみたいな働き方がしたかった。つまり、目の病気を治したいわけではなくて、本当は友達を救いたかったんです。そこから、あまり得意ではない外科手術をする眼科医でいるよりも、いっそ治らない患者さんをケアする、ケアとキュアをつなぐような眼科医になろう、と決意したんです。」

 三宅先生の新たなキャリアの扉が開いた瞬間だった。その1年後、専門医と博士号を取得した三宅先生は、大学病院を去り起業。「健康を築き、幸福に気づく」を合言葉に、目が不自由な方もテクノロジーにアクセスできるような支援を行う、株式会社Studio Gift Handsの前身となる組織『Gift Hands』を設立した。

 そのころ世間では、iPhoneやiPadといったテクノロジーが台頭してきていた。これらのデバイスは視覚障がい者にとって便利な機能がたくさんあるのにも関わらず、うまく活用されていないという課題があった。

 これを解決するため、IT企業への持ち込み企画や、全国の支援者・盲学校を回り、これらの端末を実際に使ってもらうワークショップなどを積み重ねていく。

 視覚障がい者に向けたテクノロジーの普及が徐々に評価されるようになると、神戸で病院をつくるプロジェクトの誘いを受けた。

 ミッションは「患者が勇気と希望をもらえる病院」をつくること。こうして生まれたのが、「ビジョンパーク」だ。

“Cure”=正しい治療から
“Care”=楽しい成長、へ

 「ビジョンパーク」とは、最先端の眼科医療を担う神戸アイセンターに併設した、視覚についてのリハビリ・情報支援・研修・イベント・機器開発支援などを行う複合施設である。「遊べる病院」をコンセプトに、見るのに困難さがある・ない関係なく、すべての人を対象にした気づきと学びの場を提供している。「病院」と「遊び」という、一見すると結びつかないキーワードをテーマにしているが、どのようにしてできたのだろうか。

 きっかけとなったのは、プロジェクトに誘ってくれた医師から言われた、「ケアに必要なのは、『正しい』ではなく『楽しい』であり、医学的に正しいことでも楽しくないと続かない」という言葉だった。

 この言葉を胸に、三宅先生は「患者さんが来て楽しい場所とは?」「そもそもなぜ私たちは病院に行きたくないのか?」と考え、ある結論を見出した。

 「病院はもともと『管理するための空間』で、患者さんが問題を起こさずに安全に過ごすのが第一なんです。もちろんそれは大事なことですが、社会に出ると一気に危険な環境になります。転んでも助けてくれなかったり、点字ブロックの上に自転車が置いてあったりと障壁だらけなのです。

 そんな、危険すぎる社会と安全すぎる病院とのギャップを埋める、『厳しすぎないけれど挑戦できる空間』が必要だと思いました。子どもは遊びの中で挑戦し、失敗しながら学んで成長していきます。同じように、視覚障がい者として生きることに初めての患者にも、成長するうえで遊びが必要だと思っています。

 ビジョンパークでのゴールは、『病気が治癒すること』ではなく、『遊びがある空間で成長し、気づきを得ること』です。」

 「遊び」には「楽しむ」と「余白」という2つの意味を込めているそう。

 安全な場所である病院の横に少しだけ挑戦できる場所を作ることで、再生医療など先端医療を使った治療としての“Cure”と、自立をゴールとした情報支援の“Care”の障壁をなくした空間を作った三宅先生。

 ビジョンパークの将来像について、以下のように語ってくれた。

 「見えないことに絶望している患者さんが『目は治らなかったけれど、ビジョンパークに来ることで人生が楽しくなった』と感じられるような空間を作るのはもちろん、最終的には視覚障がいに興味がなかった人も、ビジョンパークにいるうちに目の見えない人とのかかわり方を考え、もし将来目が見えなくなったとしても不安に感じることがなくなるような社会にしていきたいのです。」

 実はこのビジョンパーク、映画『パッチ・アダムス』で、パッチが映画内で建設していた病院に着想を得ていた。

 実際にパッチの病院へ足を運び、パッチ本人と過ごす中で人とのつながりや関係性のでき方を目の当たりにし、そこで学んだデザインやコンセプトをビジョンパークに活かしたそう。

 そして2022年、ついにパッチ・アダムスを日本に招き、教育・介護・医療のトップランナーの対談イベントを開催することとなる。

 コロナ禍の日本が抱える社会課題が浮き彫りになる中、「ウェルビーイングとはなんなのか」について考え、パッチの言葉や行動理念を医療・福祉・介護分野で活躍する次世代に届けた。今後はパッチからのメッセージをどう実践していくのかが問われていると感じている。

ハイブリッド「社会医」として、
ロールモデルとなる

 今後のキャリアについて、社会医としての活動を増やしていくフェーズにしていきたいと語る三宅先生。

 「社会医としての活動は『現場に行き、現場で生きる人々と対話を重ねて、難しい課題をだれでもわかるひらがなに翻訳すること』がベースになる活動です。そのため、ある程度時間をかけることが必要になります。

 社会医として現場に行き、自分が学べることに面白さを感じているので、眼科医・産業医としての活動はオンラインを活用し、社会医としては現地に足を運ぶといったような、リアルとオンラインを融合させた究極の働き方改革をしたいですね。

 3足のわらじを両立させて、後輩たちのロールモデルになれたらと考えています。」

 最後に、キャリアに迷う若手医師や医学生に伝えたいメッセージを伺った。

 「ぜひ、『自分はなんのために医師になりたいのか』を真剣に考えておくといいと思います。私の場合はそれが、『自分が好きなことを学べて、相手とともに成長できる』ことでした。自分の原点となる部分があったからこそ、『パッチ・アダムスのようになりたい』という思いや、組織や社会を治す医師としての今の働き方にもたどり着きました。

 『なぜ医師を目指すのか』という人生の北極星のような原点が言語化されていると、医師としての働き方がどう変化しても、真の意味で医師であり続けられるんじゃないかと思います。当日は、多様で複雑な時代を生きていくみなさんの、勇気と希望につながるような講演にしたいと考えています。」

 自分の原体験・想いを胸に、多岐にわたる分野で活動を続ける三宅先生。
 当日の講演では、先生のキャリア観について、さらに深くお話を聞くことができそうだ。

取材・文:横浜市立大学医学部4年 印南 麻央

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