新幹線の焼身自殺高齢者

新幹線で焼身自殺した71歳のニュースでは、どちらかというと、テロと同じように荷物検査であるとか、排気設備を整えるとか、そんな話になっている。
この71歳がなぜ新幹線で焼身自殺しようと思ったのか、それともボケも出ていてやったのか、そのうちわかってくるだろうけど、死にたい高齢者は結構いるように思う。
前までは若年層の犯罪が目立ったけど、これから高齢者の犯罪や自殺(自殺はもう多いのかな。でももっと増えそうな気がする)

山田風太郎先生の『あと千回の晩飯』では、何歳で死ぬのが適齢か? というような問答をやっていて、生物学的には(子どもを育てる時間も加味して)65歳としている。

あまりピンと来ないひともいるだろうし、愉快な話じゃないけど、山田風太郎先生によると、「ボケ老人は一堂に集めて、集団でトワの眠りについてもらう。セレモニーにして、森厳豪華な神殿で花を敷き詰めた棺を並べて、そこにガスを流して・・・」
志願制で、国家的葬送の儀を行うといい、と言うんだよね。
ボケる前に、あるいはボケの兆候が出たら志願と。

ボケてからは、それを巡査が棍棒で殴り殺して歩く・・・という話もしていて『吾輩は猫である』にその問答が出てくる。
あの「ワガハイはネコである。名前はまだない」の夏目漱石が書いているのは、

「死ぬことを苦にするようになったのは神経衰弱(その頃にも痴呆とかはあっただろうが)が発明されてからだよ」

「なぜって今の人間は生命いのちが大事だから警察で保護するんだが、その時分の国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のために打ぶち殺してくれるのさ。もっとも少し気の利きいたものは大概自殺してしまうから、巡査に打殺ぶちころされるような奴はよくよく意気地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門口かどぐちへ張札をしておくのだね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が都合のいい時に巡まわってきて、すぐ志望通り取計ってくれるのさ。死骸かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾ってあるくのさ。まだ面白い事が出来てくる。……」

これは凄いと思う。
「万年の後のちには死と云えば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」
というのもあって、昔々読んだこともあるのに、きちんと読んでなかったんだろうなと。
猫である吾輩も、甕に落ちた後、抵抗するのはやめようといって死んでしまうし。

自殺が簡単に出来るシステムって、国としてはやれないに決まってるんだけど、そういう神殿があったら、この新幹線で死んだ人はそちらに行ったかなあ。

高齢者の自殺と犯罪はこれから増えていくと思う。楽しい話じゃないが、死にたくても死ねないという老人は思いの外多いんじゃないかな。独居老人に差し掛かっている自分がそう思う。

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