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科学的根拠に基づいた正しい栄養知識を、一人でも多くの人に届けたい【DNSな人々その③~管理栄養士・飯澤拓樹】

DNSは「人を進化させる」というブランドコンセプトのもと、サイエンスに基づき、明確な効果が期待できる安心・安全なサプリメントをお届けするニュートリションブランドです。

そんなDNSのコンセプトを科学的な視点から下支えしているのが、今回登場する飯澤拓樹です。

飯澤は朝の出勤前にウエイトトレーニングに勤しみ、現役スイマーとして大会にも出場する、DNSの"戦う管理栄養士"。管理栄養士としてさまざまなチームやアスリートの栄養サポートを行うだけでなく、マーケティング担当としてDNSや自らのアカウントからスポーツ栄養に関する情報発信を行う「中の人」でもあります。

ちなみに皆さんは、DNSのソーシャルメディアをすでにフォローして下さっていますよね!? もしまだの方がいらしたら、ぜひフォローをお願いします。ソーシャルメディアのサプリメントについての解説の多くは、飯澤が行っています。

ツイッター:@DNS_supplement
インスタグラム:@dns_protein_official

飯澤は、DNSというブランドの声を発信をする際のスタンスについて、こう語ります。

栄養士として、科学的根拠に基づいた話をすることを心がけています。僕には大学や大学院時代にお世話になった栄養学の先生や、研究者を目指して頑張っている多くの同級生がいます。皆さんの研究をきちんと役立てることが、僕ら現場の人間の役割。研究成果をより多くの人に知ってもらい、その反響がフィードバックされる流れを作る。これが、自分ができることだと思っています。

前回紹介した坂本のように、多くの人は食べることや調理することが好きだったことをきっかけに栄養士を目指します。しかし飯澤は、まったく別のモチベーションで管理栄養士となり、サプリメントの世界へと飛び込んできました。

彼の独特なキャリアを紹介していきましょう。

栄養士になれば、目立てる!?

栄養士になろうと思ったもともとのきっかけは、幼いころから水泳をやっていたこと。オリンピックを夢見る少年でした。

中学時代は個人メドレーの選手として活躍。バルセロナ五輪金メダリスト・岩崎恭子さんの母校で知られる静岡の強豪・日本大学三島高校に進学し、3年間、水泳ひと筋の生活を送りました。しかし、選手として大きく花開くには至りませんでした。

選手としては、オリンピックとかは難しそうだな…。

そう考えた飯澤は、夢を若干シフトチェンジ。選手ではなく、国立スポーツ科学センター(JISS)のスタッフとして、オリンピックを目指すことを考えつきました。

では、どんな仕事でオリンピックに行くか。例えば水泳のコーチという道。確かに水泳は好きだけど、水泳だけに絞るのは少々リスクが高い。それよりも、いろいろなスポーツに携われる立場の方が、道は近い。

飯澤の頭の中に浮かんだ選択肢は、トレーナー・理学療法士・栄養士の3つ。その中から選んだのが栄養士でした。

栄養士は女性が9割で男性は1割。栄養士になれば、珍しいから目立てるのでは?

飯澤がスポーツ栄養の道を志したのは、そんな戦略的な理由でした。

昔も今も、長所は行動力。

男性が栄養学を学べる大学は、決して多くありません。生まれ育った静岡を離れ、新潟医療福祉大学 健康栄養学科に進学しました。

1クラス44人中、男性は飯澤を含めて4人だけ。そんな環境の中で、栄養学の勉強をスタート。実習や課題をこなす傍らで水泳部に入部。日本代表も輩出する強豪水泳部のマネージャーになりました。

もともと、大学に入ったら水泳は辞めるつもりでした。でも、思いは断ち切りがたいものがありました。実習や課題で忙しい中、タイム計測などのサポート、そして選手の体組成データ管理などを行いました。

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そんな生活の中でも「将来JISSに行きたい」という夢は持ち続けていましたが、JISSの募集要項を見ると、大学院の修士課程を専攻する必要がある。そこで「大学院の修士課程に進みたいので、先生を紹介してほしい」と、学科の教授に直談判。部活と栄養学科の勉強とともに、大学2年より、スポーツ栄養分野の研究で知られる教授の研究室に入りました。

昔も今も、飯澤の長所はこの行動力です。

将来はスポーツの世界で戦っていきたい。そのためにはいろいろな情報を仕入れなきゃいけないと思っていました。3年生の時、日本スポーツ栄養学会と水泳のすごく大事な大会の日程が重なってしまったんです。そこで僕は何を思ったか、監督に「学会に出させてほしい」と、またしても直訴(笑)。不届き者ですし、なかなか勇気のある行動でした。大会に行かずに学会。しかも発表があるわけでもないのに…。でも、少しでも知識をつけたかったし、スポーツ業界で働きたかった。結局、学会に出ることを許していただきました。僕は本当に周りの大人に恵まれていた。変な奴と認識されていたので、間違った方向に行かないよう、時間をかけて指導して下さったことに感謝しています。

大学卒業後、管理栄養士の資格を取得。多くの仲間が就職してキャリアを積んでいく中、福岡大学大学院の修士課程へ。新潟の研究室でお世話になっていた教授が福岡大学に異動したのを追いかける形で2年間、研究に没頭しました。

福岡での生活は本当にハード。どこも遊びに行かず、アルバイトもできない。朝6時半に集合し、夜に帰るのは22時、23時。そんな生活が週5~6日。日曜日は死んだように眠って終わり、という毎日を送ります。

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ストレスがたまる毎日でした。もちろん嫌な思い出ばかりではありませんが、ジャンプアップする前のしゃがむ角度としては、だいぶ深かったですね(笑)。


DNSはアスリートと向き合っている。

夢はいつしか、スポーツ栄養の研究者に。修士課程を終えた後は博士課程に進むつもりでした。しかし、心境に変化が訪れます。

ちょうど修士課程の2年目に入った時のこと。あるテレビ番組で、当時DNSを展開していた株式会社ドームが紹介されていました。登場する社員達がみんな輝いて見え『自分の能力を生かすならこの会社だ。ここで働きたい。』という思いでいっぱいになってしまいました。

ちなみにDNSのことは昔から好きで、いいイメージを持っていたそうです。高校時代に初めて飲んだプロテインはG+のエスプレッソ味。プロテインはおいしいと知ったのはG+を飲んだことがきっかけでした。(現在エスプレッソ風味は終売しています)

栄養士の目から見て、DNSの製品は他のサプリメントメーカーより、よく考えられて作られている。例えば僕が栄養士の目でパッケージの裏面に書いてある成分表示を見ると、DNSがアスリートと実際に向き合い、彼らのニーズを満たす科学的根拠のある製品を作っていることがわかるんですよ。だから昔から、DNSで働くことに興味を持っていたのも確かです。

番組オンエアの翌日、飯澤は大学院で「修士課程を終えたら就職したい」と伝えました。「何を言っているんだ? 研究者になるんだろう!?」と怒られましたが、DNSの仕事をしたい気持ちが勝りました。

20年後の日本のスポーツ栄養を支える存在に。

2019年4月、飯澤はDNSの管理栄養士のキャリアをスタートさせました。手がけた仕事はまず、契約チームの栄養サポート。それに加えて手がけたのがDNS ZONE内にある「ニュートリションガイド」の執筆でした。飯澤が内容を3カ月以上かけてチェックし、栄養士目線で修正を加えたのが以下です。

ニュートリションのノウハウは日々アップデートされます。その中で、内容がやや古くなっている箇所があった。DNSをもっとよくしていきたいと思っていたし、サイエンスに基づいた正しい情報を伝えることが使命だと思っているので、ある程度書き直しました。でも、猛烈に大変でしたね(笑)。

そして2020年、DNSはドームから独立して再スタート。新体制の船出とともに、飯澤は管理栄養士としての栄養サポート業務に加え、マーケティング担当に抜擢。「栄養士×マーケター」という、何ともユニークなキャリアが始まりました。

マーケティングの予算を立てたり、DNS ZONE内のオウンドメディア「DESIRE TO EVOLUTION」や、このnoteの進行管理を行ったりと、今も多忙な日々を送っています。

今の時間の使い方は、栄養士が週1日、マーケティングが週4日というバランス。飯澤はこの状況を「ラッキーでした」と語ります。

僕は「栄養士だから、この仕事をやりたくない」とは、言いたくありません。なぜなら栄養士の市場価値を考えた時「栄養士のスキル×何か」が必要と思っていたからです。もちろん栄養士の仕事に集中したいと思うこともあります。でも今は、会社が求めていることに応える。それが今の自分に必要なことだと思います。今は猛烈に忙しいので、きついのは間違いないのですが(笑)。

忙しい毎日の中でも、飯澤は出社前にウエイトトレーニングに励み、水泳の大会にも出場しています。5月には、100m個人メドレーと50m平泳ぎにエントリーする予定。自己ベストの更新を目指しています。さらには「♯戦う管理栄養士」として、ソーシャルメディアの個人アカウント(ツイッター:@iizawa_nutri/インスタグラム:@iizawa.nutrition)でも、さまざまな情報発信を行っています。

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そんな飯澤は、今後のキャリアパスについてどう考えているのでしょうか。

目指すことは2つ。まずは科学的根拠に基づくアスリートへの栄養サポート。そしてゆくゆくは、日本のスポーツ界の発展に貢献していくことです。公認スポーツ栄養士の資格取得を目指して勉強しています。ただし、現役の栄養士として40歳、50歳までやるつもりはないんです。上の人達が居座って、若手にチャンスが回ってこない状況を作りたくないので。きちんと道を作って若手を育て、次の世代にバトンパスする。そこまでが栄養士としての自分のキャリア。そしてその後は、研究開発の人間としてやっていきたい。同世代の栄養士や研究者と飲みながら、よく「20年後に日本のスポーツ栄養を支えているのが俺達だよね」という話をします。実際にそうなったらいいですね。

飯澤はきっとこれからも、持ち前の行動力でオリジナルのキャリアを築いていくことでしょう。アスリートのために、そしてDNSを愛する皆さんのために、明確な科学的根拠に基づいた質の高いサプリメントを作り続ける。

そんなスタンスを支え続ける飯澤に、ぜひ今後もご注目下さい。


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