見出し画像

暮らしたい「まち」を私達が作る未来

私が人の未来に望むのは、国の政策にも、企業の戦略にも、いっさい干渉されない暮らしです。
「まち」が主役となる未来。そこで暮らす人が作る「まち」とは。
価値観を共有する人が集まる「まち」
どこにでもあるものが、ない「まち」

私達が、本当に求めるものとは何でしょうか?
私達が、求めていないものとは何でしょうか?

国、企業、まち

「暮らしたい未来のまち」と聞いて、私の最初の問いは
「それを作る主語は誰だろう?」ってことです。
未来について考えるためには、まず歴史を俯瞰するのがマイルールです。

19~20世紀というのは、国民国家が主役の時代だった、と言っていいでしょう。
この時代は、世界各地で大規模な戦争が繰り返された時代と重なります。
まち作りの主語は国家で、その主目的は富国で、究極目的は国防でした。

21世紀は、主役が国家から企業に移りつつある時代です。
巨大なグローバル企業は、中小国家をはるかに凌ぐ力を持つまでに成長しました。
日本を見ても、トヨタ自動車の格付が日本国債の格付を上回っています。
日本が死んでもトヨタは死なない、と世界が判断しているのです。

折しも、政府が「スーパーシティ」構想を、トヨタが「ウーブン・シティ」の建設を宣言したことは、偶然ではないでしょう。

さて、未来のまち作りの主語は、国でも企業でもない、と私は予感します。
コロナを通じて、この国の政府が機能不全に陥っていることを私達は学びました。例えばワクチン問題では、政府より民間企業のほうがよほど頼りになりました。

では、未来の主役は企業でしょうか。
たしかに、政府よりは企業のほうがマシ、と感じます。
しかし、企業には致命的な欠陥があります。それは、ビジネスの論理から自由になれないことです。

国が主役の時代 ⇒ 企業が主役の時代 ⇒ 次の主役は誰だろう。
私は漠然と、都市あるいは地域、と考えています。
都市と言っても、東京ほどの大都市は、国とさほど変わりませんね。

画像1

町・・・街・・・あるいはひらがなで「まち」という言葉もいいですね。
このレベルまで目線を下げると、そこで暮らす一人ひとりの人間が主語になれそうです。
住人が主役のまち作り。これって、原点回帰なのでは?
国や企業が強大になる以前の、本来の姿なんですよね。

画像2

価値観をベースとする「まち」

未来のまち作りの主役が国でも企業でもない、とほぼ確信するのは、政府の「スーパーシティ」にも、トヨタの「ウーブン・シティ」にも、全く魅力を感じないからです。

スーパーシティには、中国政府が人工的に開発した「経済特区」や、現在開発中の「未来都市」と同じ臭いを感じます。テックによって人を管理・監視する社会です。

画像3

ウーブン・シティのコンセプトはよくわかりません。ただ、クルマだらけの大都会を作った共犯が自動車業界であることを想起すれば、ロクなものではないことだけはわかります。

画像4

少し話を戻しますが、国が無用の長物になった理由の一つに、国民の価値観の多様化があります。
国民国家というのは、歴史の必然として、あたかも自然発生的に勃興・発展していったかのように思われがちです。それが真っ赤なウソであることは、多くの研究によって明らかになっています。
国民国家とは、極めて人工的な虚構なのです。国家も国民も民族も、人為的に捏造された概念で、そのことに人々が気づきつつあるのが現在の社会です。

「価値観の多様化」と言いましたが、じつはもともと多様だったのです。
個々の人間の多様性を殺して、無理やり画一化したのが国家であり、その洗脳が解けた状態を今さら「多様性」と呼んでいるに過ぎません。

画一化された価値観で作られたのが国家ならば、多様性を取り戻した価値観で作られるのは何か。
それが、私の考える「まち」です。

同じ価値観を共有する人間が、ひとつのまちに暮らす。
価値観の数だけ、まちの数があっていい。
もちろん、価値観の異なる「Aまち」と「Bまち」は、お互いを尊重する。
ただ、不要な摩擦やストレスを生じさせないため、普段の生活圏を分ける。
「ボーダー」と言うほどではない、緩やかな境界です。

個々の人間を価値観で分類するとか、居住区で分断する、といった趣旨ではありません。
基本的には現状の人口分布をスタートラインとします。
そこから、ある特定の価値観に基づくコンセプトでまち作りを行い、その価値観に共感する人が自然に集まってくるような「まち」にしていきます。
シェアハウスの拡大版、と言えるかもしれませんね。

シェアハウス4

○○○のない「まち」

一つの例として、「子供たちの安全と学びを最優先する」というコンセプトで、ひとつの「まち」を作るとしたら、どんなまちにしますか?

✅ ゼロ車両を目指す(自転車は可)
✅ 治安を悪化させる施設を全面禁止
✅ 多種多様な優れた学校を誘致する
✅ 文化とアートに特化した施設が充実
✅ 大資本のチェーン店舗はお断り

このまちにないもの:
コン○ニ、ファ○レス、キャ○クラ、マ○ド、ス○バ、イ○ン、H〇M、等々

はっきり言って、不便だし面白みのないまちかもしれない。日本全土をこのようなまちにはできないでしょうが、ひとつくらいそういうまちがあってもいいと思います。
このまちで暮らすことを選ぶ人は一定数いるはずです。
不便でつまらないまちにすることで、危険な要素を最小化するわけです。
監視カメラを設置するのではなく、監視する必要がないまちを目指します。
交通事故の心配なく、子供達だけで学校にも遊びにも行けるまちにします。

決して、独身者や子供のいない人を排除しているわけではありません。
子供のいない人でも、この価値観に共感する人はいると思います。
きっと、この価値観に共感して集まってくる人々は、自発的に居心地の良いコミュニティやサークルを作り、性別・年齢・家族構成・職業等を問わず、意外と多様性に富んだまちになるのではないでしょうか。
共通するのは価値観だけですから。

書いていて気づいたのですが、価値観に基づくまちって noteに似てるかも。
note を一つの世界とすれば、そこには価値観を共有する小さなまちがたくさんある。価値観の似た老若男女が緩やかなコミュニティを形成していて、普段はそのまちで心穏やかに暮らしつつ、ときどき価値観の異なる人とも交流する。
そんな note世界をフィジカルに具現化したものが「暮らしたい未来のまち」かもしれませんね。

シェアハウス2


#暮らしたい未来のまち