無駄

今日はJ-Wave聴きながら走った。どんな最新の曲たちがかかるかな、と思っていたら、最初にかかったのがシンディ・ローパーだった。"Girls Just Want To Have Fun"だ。「ハイスクールはダンステリア」というまったく曲の内容を無視したひどい邦題がついていた。1983年だ。昨日のSOSよりさらに古いやんか。次の曲がスティングで、次はなんと竹内まりや(!)だった。おいおいええ加減にせえよ。俺が中高生の時と顔ぶれが変わっとらんやないか。竹内まりやは新曲だったけど。でも「これ、ボーカルが竹内まりやなだけで、山下達郎やんけー!」と思った。そのあとはエイミー・ワインハウスだったので、だいぶ新しくなったけど、曲は「アワ・デイ・ウィル・カム」のカバーだった。これは1962年の曲だ(邦題は「燃ゆる初恋」だったんやて。知らんかった。ええ曲。カーペンターズもカバーしてる)。さらに次が槇原敬之。YUKIの「聞き間違い」のカバー。これはまあ新曲。オリジナルも一昨年の曲。ただし、顔ぶれとしては古株やんねえ。どちらも90年代のミュージシャンという感じ。やっぱり90年代の人にはアレルギーがある。何がって、一つは歌詞。内容より言葉の数が多い、という気がしてそこがなんか。元々、詩というのは言葉より内容が多いものじゃないかと思うんだよね。そして、90年代から増えたのは、漢語を歌詞に使うってこと。充実感、とかそういう言葉。あれ、いやだ。

きっかけはわからないのだけれど、YouTubeでミニマリストと名乗る人の動画をいくつか見た。へえ、すごいなあと思うけど、まねしようとは思わない。いらないもの、無駄なものを減らして、というのを突き詰めると、結局自分が一番いらないってなりそうな気がする。節約って無理。物買うの楽しい。買えないとつまらなくて生きていけない。何も考えずに物買えるようになりたい。1兆円くらいあるといいね、と思っている。

昔、友人にミニマリストがいた。そういう言葉はなかったけど、今思うとミニマリストだ。部屋にはほんとに何もない。椅子もない。フローリングに座ってすごす。ベッドもなく、すみっこに丸めてある布団を敷いて寝る。ボーズのアンプとスピーカーがあるだけで、あとは本当に何もない広大な部屋だった。やるなあ、まねしたいなあ、と思った。そいつに彼女ができて、部屋はあっという間に変わった。普通になった。綺麗に片付いてはいるけど、元に比べると雑然としている。これが人生か、と漠然と思った覚えがある。なんのこっちゃ。

何度も何度も行きましたよ、ええ。

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