思い出すことなど(27)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。

(前回の続き)

翻訳と営業、社内で二足の草鞋状態。大変。でも、気持ちは明るかった。足取りから違うのが自分でわかった。毎日、やりたかった仕事をして、確実に役に立っていると思えたからだ。2階から3階へも素早く駆け上がる。疲れなど感じている暇はなかった。

外回りや事務仕事を続けながらも、翻訳関連の仕事は日に日に増えていく。頼まれた仕事を着実にこなしていたから、Hさんはじゃあこれも頼もう、あれも頼もう、と思ってくれたのだ。

翻訳会社は翻訳作業を外注することが多い。フリーの人に翻訳を頼んで、内部でチェックをして品質を整えて客先へ納入するというのが普通の流れだ、必然的に、私の仕事もゼロからの訳よりチェックの方が多かった。チェックの仕事は私にとって「デジャヴ」だった。

というのも、前の会社ではじめて外注からあがってきた訳を見た時と感じたことがほぼ同じだったからだ。これは例外なくそうだ。どれを見ても、「え、何これ?」「どうしてこうなるの」と疑問に思う訳ばかり。原文の意味をきちんと理解して日本語を書いているというより、とにかく字面を日本語に置き換えました、という印象。用語集などが渡されることも多かったが、用語集の訳語が前後関係から見て明らかに不適切な時でさえ、闇雲に用語集の訳語が使われている。

もう四半世紀以上も昔の話だから、今はどうかわからない。ただ、とにかくその時の私は、渡された訳文を見て最初は頭を抱えた。「チェック」というレベルの仕事をしても、まともな訳文にはとてもならない。ほぼ書き直しに近いことをしなくては。途中からは、元の訳文を見ていると思考の妨げになるので、消して書き直し始めた。

当然、時間も手間もかかる。期限はあるから、残業、休日出勤の連続になる。自宅に持ち帰ることもよくあった。本当はそこまでする必要はなかったのかもしれない。だって渡されるどの訳文を見ても同じなのだから。これまではこれにちょっとチェックにかけたものを客先に納品していたのだろう。それでトラブルになったという話は聞かないから、別にそれでかまわないのだ。でも、どうしてもそれでは嫌だった。絶対に自分で納得いくところまで仕上げて出すのだ、と固く決意した。いくら大変でも時間がかかっても気にしなかった。

当時も自覚していたが、もはやこれは仕事ではない。求められている以上のことを勝手にやっているのだ。なぜか。そうしないと自分には未来がないと思ったからだ。つまり、あくまで利己的な動機からがんばっていたということになる。きちんと仕事をしないと仕事が荒れる。ゆくゆくは独立してフリーになって翻訳一本で食べていくのだ、と思っていたので、それでは困る。だから、一つの仕事も適当にはできない。迷惑なやつだ。

自分のその後のためには、それが良かったのだと思うし、今でも正解だったと思うけれど、社会人として正しかったのかというと別の話だなあとは思う。どこかで申し訳ない、うしろめたい気持ちはある。しかたないことってあるよね、きっと、そうなのだと思う。

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