思い出すことなど(10)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。 

(前回の続き)
猛勉強の日々が続く中、私の中に徐々に不満がたまっていた。会社にいる時間、勉強できないのが歯がゆいのだ。時間がもったいない気がする(ひどい奴だ)。なんとかならないか。そう思いながら過ごすうち、一つひらめいたことがあった。

そうだ、勉強と同じくらい仕事に真面目に取り組んでみよう...

どうせ会社にいなくてはならないのだから、真面目にやった方が面白いし、きっと身に着くこと、覚えることがたくさんあるだろう。それは翻訳の仕事を始めてからも絶対に役に立つ。ここでしか学べないことを学べば他の人にない武器になるだろう。そう思ったのだ。真面目にやる気がないのに通い続けていたのがそもそもおかしな話だし、今考えれば、真面目にやるのはごく当たり前のことなのだが、当時は大発見、と思ったのだ。ばかだねえ...。
それからは本当に、とても真面目に仕事するようになった。逃げ腰だったプログラミングにも積極的に取り組む。わからないところはどんどん調べ、人に聞き、少しでも多くのことを吸収しようとした。積極的になると、任される仕事も増えていく。すると、困ったことが起きた。

ミス(バグ)が増えたのだ。

仕事をたくさんするのだから、比例してミスが増えるのは自然なことだった。しかし、周囲はそうは見ない。一人、新たな問題児が現れた、という扱いになった。プログラムをたくさん書くので、たくさんバグが発生する。上司は私の作るバグを異常なほど警戒するようになった。呼び出されて怒られる機会も増えた。この時、また一つ学んだのは、真面目にやれば必ず人に褒められるというものではない、ということだ。真剣に取り組んでいない時には、している仕事自体が少ないので、ミスもあまりしない。だから、褒められないけど、怒られることもない。だが、真剣にたくさんの仕事をすると、ミスが増えてよく怒られるのだ。ちゃんとできた場合には、大人なので誰も特に褒めない。この時以来、怒られている人はもしかしたらがんばっている人なのかもしれない、という想像がはたらくようになった。
怒られても私は別に平気だった。ここでの仕事をがんばっているのは、あくまで手段だったからだ。目的は別にある。だから何とも思わなかった。迷惑な話だが、ミスをしたらそれだけ多く勉強できるくらいにしか感じなかった。
そしてやがて、真剣に取り組んでいる、ということだけは、周囲に伝わり始めた。上司も、最近こいつ違うな、という目で見始めたようだった。

この状況で「辞める」って言い出したらどうなるのだろう...。

そう思うと、少し怖くもあり、楽しみでもあった(ひどい)。

—つづく

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