思い出すことなど(37)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1994年頃の話です...

まだその心配はいらないのだけど、この思い出話、どの時代まで書くべきかちょっと悩む。あんまり今に近いと登場する人が頻繁に顔を合わせる人だったりして、なんか書きにくくなってしまう。記憶に食い違いがあったりして、君、それは違うよ、なんて言われるかもしれない。まあ、それはそれで面白いか。こういう訂正が入りました、ってことをまた書けるからね。今は行けるところまでは行こうと思っている。椎名誠さんの「哀愁の町に霧が降るのだ」シリーズみたいに、開始当初の「現在」がいつか「思い出のあの時」になったりするのもいいかも。

翻訳部に移ってからはそれこそ毎日毎日、翻訳の仕事ばかりしていた。面白い仕事もあれば、ちょっと困るような仕事、頭をひねる仕事、腹が立つ仕事、あきれる仕事など、色々あった。やっつけ仕事...だけはしなかったと思うけど。

関わった中でもたぶん、一番大きいプロジェクトだったのは、某機械メーカーのマニュアル翻訳だ。工場用機械のマニュアルで、何千ページとあった。それくらいあると、もう一人、二人では訳せないから、外注の訳者に頼むことになる。10人以上に頼んだと思う。一部は私たち中の人間が訳した。工場用の機械は、大掛かりなもので、使う際に危険も伴う。だからすごく緊張していた。自分がいい加減な仕事をしたばっかりに誰かが怪我をしたり、下手をすれば命を落とすかもしれない。そう思うとまったく気が抜けなかった。

しかし、英語の原稿はそんな緊張感を削ぐようなものだった。まず英語ネイティブが書いたものではない。英語圏の会社じゃなかったからだ。人のことは言えないが、非ネイティブの英語は、その人の母語に大きく引っ張られたものになる。その原稿も、筆者の母語のせいだろう。とにかく名詞だらけだった。名詞が7つ並んでいて、動詞がどこにもない、なんてこともあった。本当はこれは動詞のつもりなんだろう、と推測して訳す。

記述も極めて不親切だった。曖昧というべきか。たとえば「Aボタンの上にBボタンが」と書いてあったとしても、その意味は少なくとも二通りにとれる(おわかりですよね)。たぶんこっちじゃないか、とは思うものの、何しろ非ネイティブの英語なので、英語の常識ではこっちだ、という推測は意味をなさない。しばらくがんばっていたが、ある時点で私は完全にキレてしまった。

「もうだめです! 実際に工場に行って、機械を見せてもらいましょう。遠いですが、そんなことは言っていられません。人の命がかかっているんです!」

私は全力で部長のHさんに訴えた。工場は関東ではない遠方にあった。でも行くのだ。決して出張旅行がしたかったわけではない。これは使命なのだ!

言い出しっぺなので、私が直接、先方の担当者に視察を申し出ることになった。事情を縷縷説明する。「...というわけで、やはり訳す人間が実機をみることが必要だと思うんです...」

しかし、返ってきた言葉は衝撃的だった。

「あ、大丈夫ですよ、書いてあるとおりに訳してもらえれば」

...だめだこりゃ...程度の差はあるけれど、こういうギャップにはこの先もずっと苦しむことになった。うーん。

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