思い出すことなど(53)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1995年頃の話です...

「え、あ、ボルネオ島ですか...そうですねえ...やめておきます...」

「そうですか。わかりました。では、帰ってきてからまたよろしくお願いします」

「はい」

この間、わずか2秒。ほんの短い時間だけど、人生の大きな岐路だったのかもしれない。もちろん、冗談だったということもあり得るけど。もし「行きます」と答えて本当にボルネオ島に行っていたら、どうなっていただろうか。そう考えることが今でも時々ある。まったく違う人生になっていた可能性もある。良い方に違うのか、悪い方に違うのかはわからない。そう変わらなかった可能性もある。誰にもそれはわからないのだ。God only knows.

私があちこちで言っていることと、この時の行動は矛盾していたかもしれない。私はこの頃、何かを「できますか?」ときかれたら「できます」と、「やりますか?」ときかれたら「やります」と、何も考えず反射的に、少し食い気味に答えるようにしていたし、そうできるよう練習もしていた。実際、仕事を断るということを(スケジュール以外の理由では)現在にいたるまでほとんどしたことがない。

でも、そういうつもりでいても、やはりできることと、できないことってあるんだなあ、とこの時は自分で感心した。誰にでもきっと、これ以上は無理、という限界はある。限界を超えて無理をしてもいいことはないと思う。

なぜ、私がボルネオ行きを断ったのか。それは「胃腸が弱いから」だ。最大の理由はそれ。胃腸に限らず体は小さい頃から丈夫ではない。ボルネオ島のような厳しい環境に耐えられる自信はなかった。特に食べ物や水にはきっと耐えられないだろう。すぐに腹を壊して寝込み、周囲に迷惑をかける。ジャングルという閉鎖的な場所も大の苦手だ。

きっと能力が同じなら胃腸が丈夫な方がいろいろと有利なのだろうとは思う。私がいまいち残念な感じなのも、胃腸が弱いからかもなあ、とも思う。でも、それは仕方ない。持って生まれたものは、ある程度はどうにかなってもやはり限界はある。配られたカードで勝負するしかないのだと思っている。

―つづく―


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