思い出すことなど(22)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

あーくたびれた。金曜日って、こんなに疲れているものだっけ。
翻訳会社の営業になって三週間が過ぎた。金曜日になると異常なほどぐったりしている。なぜだろう、と思ったら、動き回っているからだった。前の会社では開発部だったから会社から出ることはほとんどなかった。でも、営業になってからは毎日、ずっとあちこち飛び回っている。すごい時は、朝は幕張に直行して、最後は三鷹まで行って直帰なんてことも。あとは、高田馬場、神保町、三田、それからどこだっけ・・・。この慣れない移動だけで疲れ切ってしまうのだ。それに、東京の地理がよくわかっていない。どこに行くにも路線図、地図と首っ引き。何しろ、駅すぱあともないし、Google Mapsもない。自分で必死に調べ、確認をするしかないのだ。どのルートで行くのが最短か、わかるまでにも相当な時間がかかっていた。
今、首都圏のだいたいどこに行くにもぱっと行き方を思いつくのは、この時の経験のおかげだ。いちいち調べていたら、埒が明かないので、路線図をほとんど暗記してしまった。今も忘れていない。ただし、南北線とか、大江戸線とかはなかった。相互乗り入れなんかも今ほどはやっていなかった。湘南新宿ラインとかもなかったねえ。
疲れは肉体的なものばかりではなかった。精神的な疲れも大きかった。この時まで、自分がこれほど事務仕事ができない人間だとは思ってもみなかった。いや、その兆候は以前からあったのに、見過ごしていただけかもしれない。事務仕事はあくまでサブだったから、できなくてもまあ、仕方ないねえで済んでいた。ところが営業になると、「事務仕事こそが仕事」になる。見積書などの書類を作る。請求書や納品書などを受け渡す、そしてもちろん、翻訳するべき元原稿や、仕上がった翻訳原稿を受け取って、渡すべき相手に確実に渡す。一つひとつはそう難しくもなさそうだ。そこで問題が起きるなどとは想像もしていなかった。ところが私はそういうこと全般が絶望的にできない人間だった。まず見積書(手書きだった)を一枚書くのに、2時間も3時間もかかる。貴重な用紙を次々に無駄にする。ようやくちゃんと書けた、とほっとしたら、ハンコをうまく押せずにボツになる。またやり直し。外注先から受け取った請求書を総務に回すのを忘れる。おかげで月末には、「支払いがない」という苦情が総務に来る。たぶん、何十万、何百万の単位の金額だったと思う。
こんなこともあった。ある会社に翻訳原稿の納品に行く。用事はそれだけだ。簡単な仕事、と思って電車に揺られる。客先に着く、挨拶をする。カバンをあける・・。何もない・・・あるはずの翻訳原稿がない。どうしよう。どうしようもない。私は正直に言った。「あの、原稿、忘れたみたいです・・・」先方は苦笑い。こんなバカ見たことないって顔。とりあえず会社に電話。M先輩が出る。「原稿忘れたみたいなんですが」「原稿、君の机の上にあるよ(今もこの時の声、完璧に脳内再生できる・・・)」「どうしたらいいでしょう」「そんなの、取りに戻るしかないでしょう」「そうですよね」
慌てて取りに戻る。恥ずかしさで消え入りそうだ。大パニック。自慢ではないが、私は本当に簡単にパニックになる。今でこそ、だいぶましになったが、若い頃はいったんパニックになると連続でミスをしてしまうのが常だった。だめだ、ミスの連続だけは避けなければ。何か心を落ち着かせる方法は・・・そうだ! 会社の最寄り駅(広尾)に着いたところで思いついた。こういう時こそゆっくりコーヒーでも飲んでから動くことにしよう。そうだそうだ。
コーヒーも飲んで、だいぶ落ち着いた気持ちで会社に戻ると、すぐにH先輩に咎められる。「夏目くん、さっき喫茶店にいるの見えたよ。原稿忘れたんだって? そんな時によくコーヒー飲めるね」「大物なんじゃない?」とM先輩。違うんだ、大物じゃない、小心者だ。小心者だから、せめて落ち着こうとしただけなんだ。にしても、会社の最寄り駅でコーヒー飲むなんて、俺はなんて間抜けなんだ、もう少し考えればよかった・・・。
なんと恐ろしいことに、こんなことが、毎日、続いたのである。

―つづく―

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