思い出すことなど(42)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1994年頃の話です...

今日は1994年の話を一応、最終回にしようと思う。明日からは95年の話だ。

考えてみると、1994年という年は、丸一年、翻訳の仕事で生計を立てた最初の年ということになる。前年の93年は「クビだ」事件からの「翻訳部移籍」という劇的な展開があった年だけれど、どちらの年もある意味で自分にとって大きなターニングポイントだったと言える。

少しは達成感もあったし、やりたかった仕事、向いている仕事ができるようになった喜びもあった。でも、今、振り返ってみると、当時の心境はそれでもやはりさほど明るいものではなかったと思う。真っ暗だった心に一筋の光は差していた。大学3年の時、音楽をあきらめて以来、失っていた目標を取り戻し、その目標に向かって確かに進み始めている実感もあった。

だけど、当時の心境を一言で表現すると、それは「焦燥感」ということになるだろう。なぜ、焦るのか。それは簡単に言えば、自己評価と他者からの評価が一致していないと思うからだ。この頃にはもう気づいていたことだけれど、自分は自分のことを「できそうなこと」で評価するけれど、他人は自分を「してきたこと」で評価する。そのギャップが焦りになる。最初から自信があった仕事を、本格的に始めて手応えを得ていた。自分にはこういうこともああいうこともやれるだろう、という自信がさらに高まっていた。だが、まだ実際にやってはいない。若い時にはこういうことが起きがちだ。自分を証明するには時間が必要だけれど、若い時はまだ十分に時間をかけていない。

どうにか正当に評価されたい。自己評価と他者からの評価を一致させたい、そういう思いに駆られていた。この思いを一応、解消するのは、実はまだまだ先のことになる。思ったよりもはるかに時間がかかってしまった。

94年の段階では焦りはまださほど大きくはなく、翻訳ができる嬉しさの方が大きかった。しかし、翌95年には、焦りが一気に大きくなり、徐々に問題が生じ始める...

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